あまり日常生活に関係していないように思える「加速器」。実は、案外身近な存在なのだ。例えば、一昔前のテレビに使われていたブラウン管や、会社や家庭でつかわれている蛍光灯なども、加速器の仕組みが利用されたもの。そんな「実は身近な加速器」の中でも、最近特に注目されている、医療用加速器について特集しよう。
人が生涯にガンと診断される割合は、なんと男性の場合2人に1人、女性は3人に1人に及ぶそうだ※。しばらく前までは「ガン」は不治の病と考えられており、本人への告知すらためらわれるような大病だった。現在でも、男女ともに、ガンの死亡数は増加し続けており、2007年のガン死亡数は、1975 年と比較して約2.5 倍。深刻な病気であることに違いは無い。しかし、新しい診断装置や治療法の研究が進むにしたがって、早期発見によるガンの治癒率も大幅にアップしてきている。
※ 国立がんセンターがん対策情報センター調べ
現在主流になっている、ガンの治療法としては外科療法、放射線療法、化学療法などがある。ガンは多種多様であり、そのガンにあった治療法を選択することが重要だ。また、最近、治療法される際に重視されるのがQOL(Quality of life)。単に治りさえすれば良い、というのではなく、臓器や身体の形をあまり損なわない治療法や、精神的・肉体的な負担が比較的軽い治療法を適用して、その人の治療後の「生活の質」に配慮する、という考え方だ。そこで注目されているのが「放射線治療」だ。
放射線治療とは、ガン細胞に放射線を照射して死滅させる療法のこと。一番の特徴は、身体にメスを入れなくて済む、ということだ。また、身体のどの部分にも照射することができるため、リンパ節や頭頸部などの切除手術の困難な部位や、白血病などにも対応できる。ガン細胞に局所的に照射するため全身的な影響が少なく、高齢者や心肺機能や腎機能に問題のある場合にも適応できる。現在行われている放射線治療の大半は、電子を加速し電子線やエックス線を作る直線加速器(リニアック)を使って行われている。正常な組織への影響が懸念される放射線治療であるが、この10数年で、加速器技術とコンピュータ制御技術が格段に進歩し、ミリ単位の正確さでガン病巣だけをたたくという、ピンポイント照射が可能となっている。
最近入院保険などの広告でもよく目にする「先進医療」。新しい医療技術の出現や医療に対するニーズの多様化に対応して、先進的な医療技術と一般の保険診療の調整を図るため厚生労働省が定めた制度である。平成15年に先進医療※1 として認められたのが、ガンの重粒子線治療である。「重粒子」とは、電子より重い粒子の総称だ。これらの粒子の原子から電子を取り除いて、加速器を用いて光の速度近くまで加速したものが「重粒子線」。加速する粒子によって、「中性子線」、「陽子線」、「炭素線」、「ネオン線」などの種類がある。ガンマ線、エックス線、電子線などは、身体の表面近くでもっとも強くはたらき、深く進むにつれて減弱する。一方、重粒子線は、身体の中の一定の深さで線量が最も強くなるようにエネルギーをコントロールすることができるのが特徴だ。また、腫瘍の形状に重粒子線を合わせることもできる。ガンの形に合わせたるためには、ビームの形を決める「コリメータ(真ちゅう製)」や、重粒子線が到達する深さを決める「ボーラス(ポリエチレン製)」と呼ばれる器具が使われる※2。これらの器具は、診断データに基づいて製作され、病巣だけに重粒子線を集中させるのだ。こうして、ピークの部分をガンの患部に合わせることにより、体の表面や他の組織への影響を最小限に抑えて、ガン病巣を狙い撃ちすることができるというわけだ。
※ 1:承認当時は「高度先進医療」と呼ばれていた。先進医療は、その医療技術が広く普及すれば、一般保険診療の適用が受けられることとなる。
※ 2:直径10cm を越える大きなガン、および高いエネルギーを要する深いガンの治療には、照射装置に備えられている「多葉コリメータ」と呼ばれる金属板の装置を使用する。
治療中は、患者はベッドにしっかり固定される。照射中に患者が動いてしまうと、せっかく狙い撃ちできる準備が整っていても、病巣に重粒子線が当たらなくなってしまうからだ。照射位置を決めるさいにも、患者は一切動かない。ベッドが高精度で動かされ、位置が確定すると、照射装置が体の近くまで降りてくるのである。ここで課題になるのが、肺などの動く臓器。 いくら身体を固定しても、呼吸をすることで位置や形が変わってしまう。そこで、ちょうど形成した重粒子線の形になるタイミングで照射するために使われているのが、加速器のコントロール技術だ。素粒子の実験で使われている加速器のコントロール精度は、ナノ秒レベル。この技術を呼吸同期センサーに応用して、動く臓器に対応しているのである。
重粒子線ガン治療の対象となるのは、主にガン病巣が局所にとどまっているものだ。しかし、ガンの中には、臓器の中に広く分布するやっかいなタイプのものもある。そのようなガンに対応するために臨床試験が進んでいるのが、「ホウ素中性子捕捉療法」である。ガン細胞が取り込みやすいホウ素化合物をあらかじめ患者に投与し、中性子線を患部に照射する治療法だ。中性子とホウ素が反応してできるアルファ線が、ガン細胞のDNAを断ち切り、死滅させる。この時、正常な細胞を傷つけることのない「次世代の放射線治療」なのだ。現在、中性子の生成には、原子炉が使われているため、日本国内の治療拠点は2 カ所に限られている。原子炉を使わずに中性子線を発生させるための「小型加速器」の研究開発も進んでおり、将来的には大学病院などへの設置が期待されている。
* 加速器を利用した「陽子線治療」についてはこちら
→ 日本の加速器の歴史 日本の陽子線治療のはじまり
→ 切らずにがんを治す(1) 〜 陽子線治療の登場 〜
→ 切らずにがんを治す(2) 〜 KEKと陽子線治療〜
加速器の技術は、治療装置だけでなく、PET(ポジトロン断層法)やCTスキャンなどの診断装置にも使われている。加速器は、患者と、「ガンという人類の強敵との戦いに、診断と治療の両面から強力なサポートをしているのだ。今後、国際リニアコライダー(ILC)の研究開発から生まれる技術を応用すれば、医療用加速器の小型化につながることが期待できる。そうなれば、加速器がガンとの戦いにおける、さらに強力な武器となるのは間違いないだろう。
どうして「ガン」になるの?
日本のガン患者数はどうして増え続けているのだろう?その主な原因は、人口の高齢化だと言う。「ガン」とは、悪性腫瘍の総称だ。細胞は通常、死ぬまで分裂を繰り返すが、このときDNA の遺伝子コードが新しい細胞へとコピーされる。繰り返される細胞分裂の途中で、時々「DNA のコピーミス」、つまり突然変異が起きる。この「DNA のコピーミス」があるからこそ、生物は進化を遂げてきたのだが、これによって生まれた「制御することのできない細胞」が「ガン」であると考えられている。長生きすればするほど、コピーミスの確率は上がり、ガンの発症率も上がる、という訳だ。さらに「ガン」がやっかいなのは、もともと自分が産み出した細胞なので、体内で異物だとみなされない種類のガン細胞もあり※、体内をパトロールしている白血球に攻撃されること無く生き延びてしまうのである。放射線治療では、ガン細胞にビームを照射して、そのDNA の鎖を断ち切る。すると、白血球が異物であることを認識し、ガン 細胞を排除するというわけだ。 ※ ガン細胞は人の身体の中で日々発生しているが、その多くは発生してすぐに白血球によって排除されている。 |