陽電子のつくり方

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冒頭から恐縮なのだが、日本語には「ウジが湧く」という表現がある。この時の「湧く」というのは、湧いて出てくる、自然発生するというイメージだ。とは言うものの、ウジは自然に湧いては来ない。ハエがこっそりと卵を産みつけているから、あたかも自然発生するように幼虫がかえるわけで、何かが湧いてくる場合は、何らかの「たね」が存在するのだ。しかし、小さな小さな世界では、本当に無から湧いてくるものがある。「素粒子」だ。

素粒子の世界では「無から有が生まれる」=「真空から素粒子が生まれる」という現象が起きている。真空と言うと、ポンプを使って空気を全部抜いた何もない空間を思い浮かべるが、真空には何も存在しないわけではない。そこには素粒子を生み出す性質を持った時空が存在しているのだ。その真空にエネルギーを与えると、粒子とその反粒子がペアで産み出される。このペアは出会うと消滅してまたエネルギーになる。

国際リニアコライダー(ILC)は、電子・陽電子衝突型加速器。電子も陽電子も、この宇宙の最も小さな構成要素「素粒子」だ。ILCでは、ほぼ光の速度まで加速した電子のビームと陽電子のビームを衝突させる。陽電子は電子の反粒子だから、これらが衝突すると大きなエネルギーを産み出す。その大きなエネルギーからは、これまで作られたことの無い粒子が産み出されることが期待されているというわけだ。

電子ビームをつくるのは比較的簡単である。地球にある物質の中には必ず電子が含まれているので、何らかの物質の中から電子をたたき出して集めれば良い。一方の陽電子は、地球上ではナチュラルなかたちで存在しないため、作り出さなければならず、それには工夫が必要だ。そこで利用するのが、陽電子が電子とともに「湧いてくる」性質なのである。

「陽電子を作るには『電子・陽電子対生成』という現象を利用します。光は、物質に衝突した時に、原子核の作る強い電場の影響を受け、電子と陽電子のペアを作って自分は消えてしまいます。ただし、これは光のエネルギーが高い時だけ起きる現象です」と、高エネルギー加速器研究機構(KEK)で陽電子生成の研究にあたっている大森恒彦氏。「通常陽電子ビームをつくるためには、高エネルギーの電子ビームをタングステンなどの重い金属標的に照射し、物質中で成長する電磁シャワーを利用します」(大森氏)。

電子はマイナスの電気を持っている。これらマイナスの電気を持っている電子のビームを、標的となる金属物質にぶつけると、プラスの電気を持っている金属中の原子核に引っ張られて加速され、このときエネルギーの高い光が出る。標的となった厚い物質中で、電子から光子へ、そして電子・陽電子のペアへとの過程が繰り返される。これが「電磁シャワー」。光が物質中を進むことで、電子・陽電子のペアが湧いてくるのである。

このようにして標的を通った後に生まれた大量の陽電子を集め、加速器で加速する。「これらの陽電子は、こぼれないように大急ぎで集める必要があります」と大森氏は言う。作り出した陽電子は、向いている方向も、持っているエネルギーもばらばらだ。エネルギーの低い陽電子はスピードが遅いので、置き去りにされてしまうし、変な方向を向いた陽電子は飛んで行ってしまう。そこで、陽電子がこぼれないように、磁場をかけて広がりを抑え、電場で加速してスピードを揃えて、出来る限り粒ぞろいの陽電子群にするのである。

陽電子の生成は、ILC実現に向けた最重要課題のひとつ。「大切なことは、陽電子を効率的につくって集めることです。様々な研究開発が世界中で進められています」と大森氏。研究者のチャレンジが続けられている。