ノーベル賞でたどる素粒子の発見物語:物理学における電弱相互作用の量子構造の解明

コラム

1999年のノーベル物理学賞は新素粒子の発見に関連してではなく、「物理学における電弱相互作用の量子構造の解明」という理論の発展の理由でオランダのゲラルド・トフーフト博士とマルティヌス・フェルトマン博士が受賞しました。電弱相互作用とは電気力と磁気の力を統一して理解する「電磁気力」と、原子核が崩壊するときに働く「弱い力」を統一して考えようとした時の力のことです。

 

電弱理論そのもの関しては、すでに「素粒子間に働く弱い相互作用と電磁相互作用を統一した相互作用についての理論への貢献、特に弱中性カレントの予想」とのことで、1979年に、シェルドン・グラショウ博士、アブドゥス・サラム博士、スティーブン・ワインバーグ博士の3名がノーベル賞を受賞していました。この1979年に受賞した3名の理論は現在では「グラショウ・ワインバーグ・サラム理論」とも呼ばれ1961年から1967年にかけての3名の仕事に与えられたものでした。しかし1960年代にはこの理論の考え方でよいという決定打が欠けていました。理論が素粒子の振る舞いを精密に予測するために不可欠な「繰り込み法」という計算手法がこの理論に適用できのるかが確かめられていなかったのです。

 

ニュートンの重力でも電磁気力でもその方程式自体はよく解っているのですが、その方程式を解いて実際に現象を予測するための計算は、初めから最も正確な数値結果を得ることが難しいため、最初の段階でラフに計算した結果から少しずつ補正を加えながら正しい結果を得る、「摂動法」という計算を行います。この時初段の計算結果と精度を一段あげた結果とが大きく異なると、次の二段階目の結果が本当の答えからより離れていってしまい、そのまま段階を深めていっても正しい結果に収束していかないおそれがあります。そこで段階を上げるごとにより正しい答えに向かっていくという性質が求められます。

 

電磁気力の計算も当初は初段のラフな計算はできるのですが、一段階詳しい計算をすると結果が少しの補正どころか、結果が無限大になってしまうということがおきていました。そこで計算の段階をあげるごとに少しずつより正確と思われる結果に向かうように工夫が計られました。

 

その工夫を朝永博士は日本語では「繰り込み法」と呼ぶ計算方法を確立し、「量子電磁力学の分野における基礎研究と、素粒子物理学についての深い結論」という理由で1965年に、ファインマン博士、シュウィンガー博士とともに3名でノーベル物理学賞を受賞しました。1960年代には「グラショウ・ワインバーグ・サラム理論」はすでに存在していましたが、「繰り込み法」が適用できて、原理的に望む精度の計算結果を得ることができるという証明がありませんでした。

 

それを証明したのが1999年に受賞した二人のオランダの物理学者です。「繰り込み可能」という証明を行ったのは当時フェルトマン博士の大学院生であったトフーフト氏で、1971年のことでした。この証明には複雑で膨大な数式の計算が必要でした。師のフェルトマン博士が「スクーンスキップ」という数式をコンピュータ処理するプログラムを開発していたので、トフーフト氏はそれを活用し、他の研究者ができなかった計算を完遂できたのです。スキップとは英語のシップ(船)に対応するオランダ語です。

 

物理学者が自分の計算に必要な数式処理プログラムを開発することはよくあり、物理学以外の分野でも頻繁に使われている「マセマティカ」は量子色力学の研究を進めるために米国の理論物理学者のスティーブン・ウルフラムが開発したものですし、数式処理プログラム「REDUCE(レドュース)」も1960年代に米国の理論物理学者アンソニー・C・ハーンによって開発が始められたものです。

 

弱い力が電磁気力に比べ弱く、しかもすぐそばにしか働かないという性質は力を伝える素粒子・ゲージ粒子に質量があるからですが、重いゲージ粒子があると繰り込みができなくなることはわかっています。ヒッグス機構により質量のあるゲージ粒子を生み出せば繰り込み可能になるのではないか?実際、「グラショウ・ワインバーグ・サラム理論」にもヒッグス機構という仕組みが入っており「繰り込み」が可能であるとは予測されていましたが、トフーフト氏が示すまで誰も証明できなかったのです。

 

トフーフト氏は自発的対称性の破れを伴うヒッグス機構が繰り込みを可能にすることを示すと同時に、こうした理論が「ユニタリー」という性質も持つことも証明しました。ユニタリーとは理論の中に出現確率がゼロより小さくなる「幽霊(ゴースト)」と呼ばれる粒子がでてこない性質を言います。トフーフト氏は「グラショウ・ワインバーグ・サラム理論」のとこは当初知らなかったようで、彼は独立に理論を確立していたのです。しかし、実際にはいわゆる「グラショウ・ワインバーグ・サラム理論」の繰り込み可能性の証明とその理論のユニタリー性を証明していたのでした。

 

この証明により「グラショウ・ワインバーグ・サラム理論(電弱理論)が認められ、その背後にある場の量子という考えが正しいという確信にたどりついたのです。この時点で残ったのは強い力の理解でした。この強い力も場の量子論で捉えることができるようになるのが「量子色力学」の確立でこの二つの理論により人類はようやく「標準理論」に到達します。