国際リニアコライダー(ILC)計画は、国際協力で進められている次世代加速器計画です。ILCの実現に向けて活動している人にスポットをあてるインタビューシリーズ「ILCをつくる人」。
第3回は、KEK 加速器研究施設 応用超伝導加速器センター(CASA)の 久保毅幸 助教です。
ご自身の経歴、科学に興味を持ったきっかけをお願いします。
学部時代は、京都大学の工業化学科というところで化学をやっていました。もともと物理が一番好きだったのですが、落ちるのが怖かったので、安全路線で選んで、京大の中では入りやすいところを受験しました。あまり褒められた動機ではないのです(笑) 卒業研究は量子化学の研究室で、多電子系のシュレディンガー方程式を正確に解くということをやっていました。原理的にはそれさえ解ければ、実験をせずとも化学反応は理解できてしまうものです。水素分子のシュレディンガー方程式を解く、というのが100年前くらいにされて、それ以降、より大きな分子の方程式をどうやったら解けるのか、ということをやってきた、そういう分野です。
工業化学科は、名前は「工業化学」ですが、ほとんどの人は基礎化学をやっていました。福井謙一さん、野依良治さん、リチウム電池でノーベル賞取った吉野彰さんも工業化学科出身。ノーベル化学賞受賞者を3人も輩出しているところなんです。
物理が好きになったはきっかけは?
高校生1年の時、部屋から古い百科事典が出てきて、開いてみたら原子核反応のことが書かれてあって、化学反応と比べても放出されるエネルギーが全然違うというのをその時に知って、おもしろそうだなと思いました。その後、高校で物理を始め、世界を簡潔な数式で正確に記述できる強力な学問体系に魅了されました。
大学院ではどのようなことを?
大学院からは物理に進もうかなと思い、工学部の素粒子論をやっている研究室に入りました。小さい研究室ですが、面白い人をたくさん出していて、卒業生の皆さんは素粒子、物性、量子コンピュータ、その他様々な業界で今も世界的に活躍されています。大学院の博士課程からは、KEKに来て、いまの岡田理事の学生に。それが2007年です。2010年までの3年間岡田さんのもと、超対称性理論の現象論の研究をしていました。
当時、素粒子論のサマー・スクールに参加した際、全国の優秀な大学院生達が必死に勉強している内容を高校生の頃には既に習得済みという人間離れした天才の存在を知りました。M1の時にD3の人から「先生」と呼ばれて尊敬されていた。そういう人を見ていると、僕はこの世界で生き残れたとしても、重要な仕事はできないだろうなと、思ってしまったんですね。
それで、夢は諦め、国家公務員1種試験というキャリア官僚の採用試験を受けました。理論物理の世界では凡人でも、この程度の試験なら朝飯前です。そして博士号を取るとともに物理に見切りをつけ、2010年の春に防衛省に入りました。落ちるのが怖くて工業化学科に入ったのと同じ流れですね(笑)。
最初の年は新鮮で面白かったです。防衛省の防衛政策局国際政策課というところで、ほかの国の軍隊との防衛協力・交流を調整する仕事をしていました。
ただ、どんどん物理を忘れていってしまうのが寂しかった。それと、自分の能力を全然いかせないもどかしさもありました。そこで、岡田さんにメールで相談をしたら、加速器でポスドクを募集しているから話を聞きに行っては?と言ってもらい、KEKに話を聞きに来ました。防衛省に入って2年目にはもう、やめる気満々でした。
防衛省で自分の能力を生かせないと思ったきっかけはありましたか?
3・11の大地震直後から、東京電力にはいろんな省庁から官僚が派遣され、原発の状況を自分の省庁にFAXで共有するという体制が出来ていました。私も東電に派遣され、防衛省にFAXを送る仕事を経験しました。防衛省で官僚をやっていては、このような重要な局面でさえ、自分の能力を十分に生かす場は無いと改めて実感しました。もう一度科学の世界に戻って、自分の得意な事で日本に貢献したいと、人生を考え直す一つのきっかけとなりました。
2012年春、KEKの加速器第6系に採用してもらいました。超伝導ニオブ空洞の製作、ニオブを化学研磨したり、電子顕微鏡で観察したりしていました。これまでにやったことのない分野の研究だったので、不安はありましたが、防衛省にずっと残るよりは楽しいだろうなと感じていました。
同じ年の秋にトーマス・ジェファーソン・ラボラトリー(Jlab)でワークショップがありました。ニオブの上に別の超伝導体を乗せる「積層薄膜構造」というものがあるのですが、その実験がうまくいかないことが話題になりました。その時に、一緒に超伝導空洞の研究をしていた佐伯学行さんから、根本的に理解が間違っているのではないか、理論的に考えてみてほしいと言われ、超伝導空洞の理論的な研究を始めました。超伝導については当時まだ全然勉強したことがなかったのですが、これはやっていておもしろかった。膜厚に最適値があるというのが分かり、この研究でフランスで賞をもらいました。
2014年以降、現在まではどのようなことを?
2015年にSRF2015という国際会議に参加した時に、アレックス・グレビッチさんに話しかけられ、うちでポスドクを募集しているが来ないか?と誘われ、ビジターとしてなら行けると話しました。2017年夏から、2年間、その人のところで理論研究をしました。
その時やりはじめたのが、超伝導空洞のQ値、つまり空洞の効率性の理論研究です。その当時から今も関心のある研究内容です。
超伝導空洞は超伝導共振器というデバイスの一つ。その研究は、幅広い共振器の基礎的な物理の理解につながる。そこが重要なところと思います。宇宙マイクロ波背景放射の観測や、量子コンピューターにも超伝導共振器が使われています。超伝導空洞の研究は、加速器の物理を超えて幅広い大きな意味があり、そこも面白いところです。
ILCができたらどんな研究をしたいですか?どんな成果を期待しますか?
ILCの目的は、電弱スケールの物理を詳細に理解して、更に高エネルギーの物理のヒントを得ようということだと思いますが、超伝導空洞の研究の立場からすると、ILCのテラエレクトロンボルト(TeV)のアップグレードに向けて、さらに高性能な超伝導空洞の研究がしたいと個人的には思っています。ILCのラボができるころには、1TeVを目指した空洞の研究施設ができてくれたらいいですね。
ILCにはどんな価値があると思いますか?
いろんな人がどう説明すべきか悩むところだと思いますが、まず、いま流行っているSF小説「三体」の話をさせて下さい。
登場人物の一人が電波望遠鏡の施設で働く物理学者なんですけど、人類に絶望していて、ほかの星にもし文明があって、そいつが地球人を滅ぼしてくれるなら滅ぼしてくれてもいいと思っているんですね。あるとき、偶然ほかの星とコンタクトが取れてしまう。ある方向に電波を送ると、うまく増幅されてほかの星に届いた。
その「三体星人」は地球を侵略したいのですが、地球の科学技術は指数関数的に進歩しているので、今の時点では自分たちのほうが進歩しているが、地球に到着する頃には地球人のほうが進歩しているだろう、そうさせないために、地球人の素粒子物理の研究が進まないようにする、というストーリーです。基礎研究を進めなければそれ以上の科学技術の飛躍はない、ということを言っています。それが分かっているから、基礎研究の邪魔をするんですね。それくらい基礎物理は重要なんですが、実際はなかなか理解してもらえないですね。
昔の人はのろしをあげて、遠くの人に合図を送っていましたが、そういう時代にとってはのろしは最速の手段でした。馬で走るよりのろしのほうが早い。それでも、じゃあ、のろしの研究に投資すれば電話が生まれるかといったら生まれないわけで。とにかく、最先端の技術にだけ投資していても、それをはるかに上回る技術は絶対に生まれないんです。電磁気学の研究から電話が生まれた。
今の古典コンピューターを研究しても量子コンピューターは生まれない。量子力学に立ち返って研究してこそ量子コンピューターが生まれます。基礎科学に立ち返らないと、次のブレークスルーはない。三体星人が基礎研究を止めたのはそういう意味ですね。
博士時代にやっていた超対称性理論が、今の研究の加速器のほうに生きていることはありますか?
直接のつながりはないかもしれませんが、例えば、対称性や典型的なエネルギースケールのような特徴的な量だけから大雑把な計算をするとか、普遍的な特徴をまず捉えて理解したいと思う姿勢とかは、素粒子論の勉強の中で学んだことだと思います。