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last update:06/09/28  

   image 20年の謎、インスリンの鍵穴    2006.9.28
 
        〜 インスリン受容体の立体構造 〜
 
 
  インスリン(インシュリン)は、すい臓から分泌されるホルモンのひとつです。この小さなホルモンは、糖尿病という有名な病気に深い関わりを持つことでよく知られるようになりました。インスリンは、細胞表面にある「インスリン受容体」と結合することによって働きますが、最近、長年謎だったこのインスリン受容体の立体構造がオーストラリアの科学者のグループによって初めて明らかになりました。立体構造を決めた重要なデータはKEKフォトンファクトリーのタンパク質結晶構造解析ビームラインBL-5Aで取られたものです。

ブドウ糖の取り込みを調節するインスリン

わたしたちは生きていくために食べ物を食べます。食べ物の中でも炭水化物は人間が生きていくための主要なエネルギー源です。炭水化物は身体の中で消化され、エネルギーとして使える小さな単位であるブドウ糖(グルコース)やガラクトースなどの「単糖類」に分解されます。ブドウ糖は血液の中に溶け込んで身体中の細胞に運ばれます。

細胞膜の表面にはインスリン受容体という、インスリンの「鍵穴」があります。この鍵穴にインスリンがぴったり入ると、細胞は血液中のブドウ糖をどんどん取り込むようになります。健康な人は、食べ物を食べると血液の中の糖の量(血糖値)が上がり、すい臓からインスリンが分泌されインスリン受容体に結合して、細胞に取り込まれエネルギーとして使われます(図1)。

インスリンは1921年に発見され、1923年には発見した2人の科学者にノーベル医学生理学賞が贈られています。また、インスリンのアミノ酸配列を明らかにしたサンガーは1958年にノーベル化学賞を受賞しています。そして1964年に「X線回折法による生体物質の分子構造の決定」という業績でノーベル化学賞を受賞したホジキンは、受賞後に同じX線回折法により、インスリンの立体構造を明らかにしています。

インスリンと糖尿病

これほどまでにインスリンが注目されてきたのは、なんといっても糖尿病の治療に大きな役割を果たしたことにあります。糖尿病は、古い書物の中にもしばしば典型的な症状が記されているように、昔から世界中の人に発症していたようですが、インスリンの発見によって糖尿病がどのようなしくみで起こるかがわかったことで、多くの患者が救われることになりました。

糖尿病は何らかの原因でインスリンによる調節が働かなくなる状態です。もともとインスリンが作れない人や、量が少なかったりうまく働かない場合、あるいはインスリン受容体の方に問題があるものなど、いろいろな原因があります。どの場合も、インスリンが細胞にある鍵穴の受容体に差し込まれないので、細胞にブドウ糖が取り込まれず、エネルギーとして使えません。また、細胞の中に取り込まれなかったブドウ糖が有り余って高血糖状態になっている血液が、微小な血管に行き渡らなくなり、神経障害や、腎臓障害、失明などの深刻な合併症を引き起こします。特に、インスリンが作れないタイプの糖尿病(1型糖尿病)は、インスリンの発見以前は致命的な病気でしたが、インスリン発見の翌年の1922年、1型糖尿病患者の少年に世界で初めてインスリン注射が行なわれ、命を助けることができたのです。

一方、インスリンが正しく働くためのもうひとつの主役であるインスリン受容体は、1969年に発見され、アミノ酸配列は1985年にすでに明らかになっていましたが、それから20年以上、立体構造を解くのに成功した科学者はいませんでした。オーストラリアの科学技術研究機関であるCSIRO(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organization:豪州連邦科学産業研究機構)のColin Ward(コリン・ワード)博士のグループも、1990年代の初頭からインスリン受容体の立体構造の解明に取り組んでいましたが、ようやくその構造が明らかになり、この快挙は国際的に最も権威のある学術雑誌のひとつであるNatureの2006年9月14日号に発表されました。

2つの分子が形づくる逆V字型

図2は、明らかになったインスリン受容体の、細胞外ドメイン(細胞の外に突き出してインスリンと結合する部分)の立体構造です。2つの分子が組み合わさった2量体の形を取っています。どちらの分子もちょうど中程のところで折れ曲がって、逆さになったV字型をしています。

これまでの研究で、インスリン受容体のL1ドメイン(図2の水色の部分)にインスリンが結合する部位があることがわかっています。これを、図2の立体構造に当てはめてみると、図3のようになります。L1ドメインに結合したインスリンを、もうひとつの分子に由来する腕で抱きかかえるような形になっています。実際にインスリンが結合したときに、どのようなしくみでブドウ糖の取り込みが調節されるのかは、今後インスリンとインスリン受容体の複合体の結晶構造解析によって、だんだん明らかにされていくことでしょう。

今回は、細胞へのエネルギー源の取り込みという、最も基本的な生命現象の主役のひとつ、インスリン受容体の立体構造が、20年の時を経て明らかになったニュースをご紹介しました。この研究によって、生命現象への理解が飛躍的に進むのはもちろんのこと、糖尿病の新しい治療法などへの道も拓けることが期待されます。



※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ

→放射光科学研究施設(フォトンファクトリー)のwebページ
  http://pfwww.kek.jp/indexj.html
→構造生物学研究センターのwebページ
  http://pfweis.kek.jp/index_ja.html
→CSIRO(豪州連邦科学産業研究機構)のwebページ(英語)
  http://www.csiro.au/
→CSIROのプレスリリース記事(英語)
  http://www.csiro.au/csiro/content/standard/ps29k,,.html
→lightsources.orgのプレスリリース記事(英語)
  http://www.lightsources.org/cms/?pid=1001593

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[図1]
糖代謝(糖がエネルギーになる過程)のインスリンによる調節。食事をして、血液中のブドウ糖(緑)が増える(=血糖値が上がる)と、すい臓からインスリン(赤)が分泌される。筋肉細胞等の細胞膜表面にはインスリン受容体(青)があり、受容体にインスリンが結合することによって、細胞がブドウ糖を取り込むように信号が送られる。こうして、細胞はブドウ糖をエネルギー源として利用したり、蓄えることができる。糖尿病の人はこの調節がうまく働かないので、食事をしてもブドウ糖が細胞に取り込まれず、エネルギーとして利用できない。また、血糖値が上がったままになるため、さまざまな合併症を引き起こす。
拡大図(136KB)
 
 
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[図2]
インスリン受容体の細胞外ドメインの立体構造。2つの分子から成る二量体の形を取っている。片方の分子は骨格をチューブ状に表現してあり、もう片方の分子は個々の原子を球で表現している。個々のドメインは色分けしてある。
拡大図(124KB)
 
 
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[図3]
インスリン(灰色)が、二量体のインスリン受容体に結合している様子。図2の逆V字型の片側のみを描いてある。インスリンがインスリン受容体のL1ドメイン(水色)に結合するモデルが提案されているので、逆V字型の二量体中ではこの図のように、L1ドメインに結合したインスリンを、もう1分子の腕で支えている形を取ると考えられる。
拡大図(91KB)
 
 
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[図4]
今回の研究に用いられたビームラインBL-5Aに設置されている大面積CCD検出器。
拡大図(24KB)
 
 
 
 
 

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