1.科学との出会い
僕はKEKの加速器研究施設の森 義治です。
僕のこれまでの科学との出会いと言えるものは、とてもたくさんあって、それをすべてお話することは難しいのですが、今僕が研究している加速器、特にシンクロトロンという加速器との出会いについては、実はとても心に残っていることがあります。ちょうど中学生の頃だと思いますが、学校で使っていた物理の教科書に、当時完成したばかりの東大の原子核研究所の電子シンクロトロンとCERNというヨーロッパ連合原子核研究センターの陽子シンクロトロンの写真が載っていたのです。特にCERNの加速器はその規模の大きさがその白黒写真からも十分想像でき、また、その装置の美しさにも心を奪われました。それと、やはり、日本と外国との大きな差をひしひしと感じました。今はこうして、その加速器を相手に研究を進めているわけですが、心の片隅に当時の思いが残っているような気がします。今でもその写真をはっきり思い出すことができます。

2.感動の瞬間
僕が加速器研究者として歩み始めたころの最初のテーマは、レーザーを用いて原子核のスピンの向きを揃える装置の開発でした。いまから20年以上前のことですからレーザーといっても手作りに近いものでした。このレーザーを用いる方式は当時は世界でも誰も手がけたことのない方法で、まさに手探りで悪戦苦闘の連続の毎日でした。特に、ある極めて大きな原理的ともいえる問題があり、従来の考えでは実現はほとんど不可能といわれていました。当時この分野で世界的権威のウィスコンシン大学のHaeberi先生とエール大学のHughes先生は、ある国際会議で、日本でこの方式を試みている者がいるそうだが、原理的に無理だからやめるようにという提言をその会議に参加していた日本の方に言われたそうです。もちろん僕なりにこの困難を逃れる方法をいろいろ考えましたがどれもいわば姑息な手段で、本質的な解決でないのは自分自身が十分分かっていました。このような状態で国際研究会に出席してトークをしましたが案の定、両先生にこっぴどくやられました。話を終えたあと会場のミシガン大学の構内の芝生に座って呆然と抜けるような青空を眺めていたのを覚えています。ただ同時にその研究会で全く別の目的のためのある装置の紹介をしている研究者の話が心に引っかかっていました。そして、その装置を応用することで、直面している大問題の根本的な解決になるのではという考えが瞬間的にひらめきました。ちょっと大げさですが、まさにこれまで閉じていた世界がようやく扉を開いてくれたという思いでした。それからの数カ月間は本当に忙しい日々でした。そして、最終的にこのアイデアが正しく不可能と思っていた困難が解決されたという結果を得た時は本当に感激でした。また、当時得られたデータは自分が世界で初めて見るデータであるという思いほど胸をときめかせたものはありませんでした。後年、この研究で米国加速器学会賞を戴いたおりあのHaeberli先生が握手をして「Congaratulation」と言って下さった時は本当に肩の荷がおりたような思いがいたしました。
3.若い人へ
僕は加速器を研究している実験物理屋の端くれです。これまでのつたない経験からこれからの若い方々へもし、伝えることがあるとすれば、それは、一見不可能と言われていることにむしろオリジナルな新しい芽が有るということです。ちょっと考えて無理かなと思うことにはとても大きな可能性が秘められていると思って、どうかいつも心の片隅にその困難さをとどめておいて下さい。いつか、思ってもみない方向から解決の矢が飛んできて、新しい世界が開けてくるはずです。そしてその世界は、予想もしない世界であるかもしれないのです。それから、もし、あなたが実験家を目指すならば「現場主義」ということを忘れないで欲しい。日々の実験装置の様々な改良・発明・工夫が新しい科学的発見をもたらすと思います。そこでは我々の手を通して物と直接対話することによって、自然が語りかける声が素直に聞こえてくると思うのです。そしてそれがまさに実験の醍醐味です。




素粒子原子核研究所 藤井 恵介博士
大強度陽子加速器計画推進部 永宮 正治部長
素粒子原子核研究所 石橋 延幸博士
物質構造科学研究所 新井 正敏博士
物質構造科学研究所 五十嵐 教之博士
物質構造科学研究所 林 慶 さん
東京大学物性研究所 原沢 あゆみ さん
加速器研究施設 森 義治博士
高エネルギー加速器研究機構 菅原寛孝前機構長
江崎玲於奈博士
素粒子原子核研究所 山田作衛前所長
物質構造科学研究所 木村 嘉孝前所長

copyright(c) 2008, HIGH ENERGY ACCELERATOR RESEARCH ORGANIZATION, KEK