KENS

月例研究報告 8月

1. 研究グループの活動状況

(1) 量子物性グループ

【研究成果】

 マルチフェロイクス物質NdFe3(BO3)4の磁気モデルの探索(東大物性研益田研究室 林田翔平)

 ネオジムホウ酸鉄NdFe3(BO3)4は磁性イオンとして希土類Nd3+と鉄Fe3+を含む新しいタイプのマルチフェロイック物質である[1,2]。マルチフェロイック物質は磁気秩序と強誘電秩序が共存する物質であり、特にこの系では、Fe3+のスピンの秩序化により結晶構造が低対称化し、Fe3+のd 電子と隣接するO2-のp電子の混成をとおして、電気分極を誘起させると考えられている[3,4]。すなわち、局所的な磁気異方性が電気分極の構造を決定する。このため、系の磁気モデルを構築し、磁気異方性の起源を明らかにすることは、磁気構造のみならず電気分極の構造のミクロスコピックな起源を明らかにすることにつながる。我々は、NdFe3(BO3)4の詳細な磁気モデルを明らかにするためにJ-PARC/MLF BL12に設置された高分解能チョッパー分光器(HRC)を用いて非弾性中性子散乱実験による磁気励起の観測と、線形スピン波理論に基づいたスペクトル解析を行った。
 図1に測定した中性子散乱スペクトルを示す。励起エネルギー6 meV以下に分散のあるFe3+のスピン波のモード(実線上の測定点)と、1 meV付近にフラットなNd3+の結晶場の分裂励起(破線上の測定点)が観測された。この二つのモードは、Fe3+とNd3+が相互作用していなければ、単に重なって観測されるだけであるが、励起のピーク位置を求めると、この二つのモードがアンチクロスしていることがわかった。すなわち、Fe3+とNd3+間の相互作用の存在が明らかになった。
 この磁気スペクトルを線形スピン波理論を用いて解析し、励起の分散関係を説明するモデルを求めた。その結果、Fe3+の1次元鎖が弱く結合し、かつ、Fe3+とNd3+間に相互作用が存在する系であることが明らかとなった。また、結晶の対称性に基づいた磁気異方性の議論によって、この系の磁気異方性はNd3+の結晶場が担っており、Nd3+のf電子とFe3+のd電子との相互作用を媒介にしてFe3+の磁気異方性が決まることがわかった。このことから、NdFe3(BO3)4では局所的なNd3+の磁気異方性が駆動力となってマルチフェロイック特性が発現することが解明された。
 この結果はPhysical Review Bに掲載された [5]。また、国際会議ICM2015にて報告された[6]。

 [1] A. K. Zvezdin et al., JETP Lett. 83, 509 (2006).
 [2] A. M. Kadomtseva et al., JETP 105, 116 (2007).
 [3] A. I. Popov et al., Phys. Rev. B 87, 024413 (2013).
 [4] T. Kurumaji et al., Phys. Rev. B 89, 195126 (2014).
 [5] S. Hayashida et al., Phys. Rev. B 92, 055402 (2015).
 [6] S. Hayashida et al., Physics Procedia (submitted).

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図1. 中性子非弾性散乱実験によって得られたエネルギースペクトル。白丸はガウシアンフィットによって求められたピーク位置を表す。黄色の実線と破線は計算によって求められた分散関係を表している。

 

(2) ソフトマターグループ

【 BL16ソフト界面解析装置SOFIA 】

 論文

 BL16 SOFIAを用いた研究について以下の論文が受理された。

  •  H. Lee, S. Jo, T. Hirata, N. L. Yamada, K. Tanaka, E. Kim, and D. Y. Ryu, "Interpenetration of Chemically Identical Polymer onto Grafted Substrates", Polymer, accepted.

 

 生体接着材料を利用した防錆コーティング材(NIMS 内藤氏との共同研究)

 生物が、我々が未だ達し得ない現象をいとも簡単に実現している例には枚挙にいとまが無い。その中には工業的に有用であるものも多く、その代表例の一つがイガイ接着タンパク質である。水中で硬化し、かつ接着性を維持できる接着材料の実現は未だ困難であるが、イガイが分泌するタンパク質は数分で接着を実現すると共に、強力な水流にさらされてもはがれない強固な固着性を有しており、これを模倣する材料開発が盛んに行われている。NIMSの内藤氏のグループはこのタンパク質を模倣することによって強力な防錆材として利用できる高分子材料の開発に成功しており、中性子反射率法により、そのメカニズムの解明を行った。 このコーティング剤は加熱処理することによってその高い防錆性が実現される。これは水を強力にプロテクトする作用があることに起因していると考えられることから、中性子反射率法を用いてコーティング剤が水と接触した界面をその場観察し、水と接触させた際の浸透性が加熱前後でどのように変化するかを解析した。その結果、加熱処理を行う前のコーティング剤においては水が浸透し、基板表面に到達してしまったのに対して、加熱処理後の薄膜においては薄膜が水の浸透を完全に防ぎ、基板表面が保護されることが明らかになった。

参考文献
 D. Payra et al., RCS Advances 5, 15977 (2015).

 

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図2. 研究で開発した防錆コート。コーティングを施したアルミを食塩水に10日間浸した所、コーティングが無い箇所は完全に腐食してしまったのに対し、コーティングを施した箇所は全くさびが生じていない。

 

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図3. 中性子反射率法を用いた解析結果。アニール処理によって水の浸入が完全に防がれ、これにより防錆効果が生まれることが明らかになった。

 

【 研究成果 】

 2nd Asia Oceania Conference on Neutron Scattering(AOCNS2015)

 シドニーで開催されたAOCNS2015に瀬戸、山田の2名が出席し、以下の発表を行った。

  •  ➢ Hideki Seto, "SHEAR THICKENING AND ONION FORMATION OF NON-IONIC SURFACTANT SOLUTION AND THE EFFECT OF CHARGE", Oral presentation
  •  ➢ Norifumi L. Yamada, "DEVELOPMENT OF ELLIPTICAL FOCUSING MIRROR AND HIGH EFFICIENCY DETECTOR WITH HIGH SPATIAL RESOLUTION FOR NEUTRON REFLECTOMETER SOFIA IN J-PARC", Poster presentation at conference and oral presentation at satellite meeting (instrumental scientist workshop)

また、以下の通り共同研究者による講演が多数行われた。

  •  ➢ Keiji Tanaka, "Aggregation States of Polymers at Non-solvent Interfaces by Neutron Reflectivity", Oral presentation
  •  ➢ Toyoaki Hirata, "Interfacial Aggregation Structure of a Bio-inert Polymer Blend in Water", Oral presentation
  •  ➢ Yudai Ogata, "Multi-Step Swelling of Thin Nafion Films Studied by Neutron and Optical Reflectivity", Oral presentation
  •  ➢ Kuan-Hsun Lu, "DISTRIBUTION OF MODIFIED FULLERENE IN A PHOTOVOLTAIC POLYMER MATRIX ALONG THE HYBRID FILM NORMAL AS REVEALED VIA COMBINED NEUTRON AND X-RAY REFLECTIVITY MEASUREMENTS", Poster presentation
  •  ➢ Daisuke Kawaguchi, "Swelling Kinetics and Structure of Thin Poly(methyl methacrylate) Films in Methanol-Water Mixture Studied by Optical and Neutron Reflectivity", Oral presentation
  •  ➢ Masahiro Hino, "Current status and perspective of neutron resonance spin echo spectrometers (VIN ROSE) at J-PARC/MLF", Oral presentation
  •  ➢ Toshiji Kanata, "Distribution of Glass Transition Temperatures and Dynamic Heterogeneity of Polymer Thin Films", Oral presentation
  •  ➢ Yuji Higaki, "Hydration State Analyses of Poly(sulfobetaine) Brushes by Neutron Reflectivity", Poster presentation
  •  ➢ Hoyeon Lee, "INTERFACIAL WIDTH BETWEEN DEUTRATED PS FILMS AND PS BRUSHES WITH VARIABLE GRAFTING DENSITY", Poster presentation

 

(3) 水素貯蔵基盤研究グループ

【 BL21高強度全散乱装置NOVA 】

 V10Ti35Cr55D200中における水素の占有状態(産業技術総合研究所・榊浩司、Hyunjeong Kim、中村優美子、日本原子力研究開発機構・町田晃彦、綿貫徹各氏との共同研究)

 V系BCC合金は1 MPa以下の圧力下でも水素を吸蔵でき、室温でも2~3 wt%の水素を放出することができるため、水素貯蔵媒体としてのポテンシャルを有している。課題は、低コスト化と耐久性の向上である。低コスト化のため、バナジウム濃度を最小としたV10Ti35Cr55の水素吸蔵放出サイクルに伴う局所構造変化を放射光Ⅹ線全散乱法にて調べた結果、結晶格子には転位が蓄積されることを見出した。そこで、高強度中性子全散乱装置(NOVA)を利用し、水素を含めた局所構造の解析を行った。中性子回折パターンをリートベルト解析した結果、二水素化物の結晶構造は既報の通り水素が四面体サイトの中心を占めるCaF2型であった。しかしながら、二体分布関数では、3 Å以下の領域で平均構造モデルでは説明がつかない相関であった(図(a))。Special Quasi-random Structureモデル(図(c))を用いて構造最適化を行った結果、Cr―D距離が他のM-D距離より短く、水素位置は四面体の中心ではなかった。構造最適化で得られた構造モデルは二体分布関数を全領域において説明でき、二体分布関数の平均構造からのずれは水素が四面体の中心からCr原子の方にずれて存在していることを明らかにした(図(b))。今後はこの知見も踏まえつつ、劣化のメカニズム解明を行い、良好な耐久性を有する水素吸蔵合金の開発につなげたい。

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図4. V10Ti35Cr55D200の二体分布関数の局所構造解析 (a)CaF2モデルを用いた場合、(b)SQSモデルを用いた場合、(c)CaF2モデルとSQSモデルの関係。

 

(4) 構造科学グループ

 Asia-Oceania Conference on Neutron Scattering(AOCNS、7.19-23、シドニー)と装置責任者会議(ISW)に神山、米村、鳥居、宮崎、MIAO、石川、LEEが参加、発表を行った。

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図5. AOCNSでの発表

 

【BL08超高分解能粉末中性子回折装置 SuperHRPD】

 論文

  •  C.I. Cheon, H.W.Joo, K.-W.Chae, J.S.Kim, S.H.Lee, S.Torii, T.Kamiyama,
    "Monoclinic ferroelectric NaNbO3 at room temperature: Crystal structure solved by using super high resolution neutron powder diffraction",
    Materials Letters 156, 214-219 (2015).
  •  O. Kwon, M. Hirayama, K. Suzuki, Y. Kato, T. Saito, M. Yonemura, T. Kamiyama and R. Kanno,
    "Synthesis, structure, and conduction mechanism of the lithium superionic conductor Li10+dGe1+dP2-dS12",
    Journal of Materials Chemistry A, 3, 438-446 (2015).

 

【BL09特殊環境中性子回折装置SPICA】

 トップローディング型4K冷凍機およびHot Stageを整備した。MLF安全審査を通過し、10月からのビームタイムで利用できる目処が立った。

【ソフトウェアの配布】

 Z-Rietveldの新規バージョンZ-Rietveld for Mac 0.9.44.1、Z-Rietveld for Win 0.9.44を8/27にリリースした。 https://z-code.kek.jp/zrg/ から、従来通りConograph(Mac版、Windows版)もダウンロード可能となった。 Z-Rietveldは、J-PARC MLFのすべてのTOF型粉末中性子回折データのリートベルト解析用に開発されたが、実験室・放射光X線データ解析、角度分散型中性子データの解析も可能であり、X線・中性子の同時解析ができること、強力なポーリー法解析、異方的広がりの解析などの特徴を持つ。今回のバージョン・アップでは、バックグラウンド推定機能の強化、ピークシフト関数の追加(ルジャンドル多項式)に対応した。現在、磁気構造解析が可能なコードを開発中である。一方、MEM計算ソフトZ-MEM、結晶模型・密度表示ソフトZ-3Dの配布準備中である。

 

(3) 中性子光学研究グループ

【BL05中性子光学基礎物理測定装置NOP】

 中性子寿命精密測定のための Time Projection Chamber の開発(KEK、京都大学、九州大学、名古屋大学、大阪大学、東京大学との共同研究)

 中性子はおよそ15分で陽子と電子、そして反ニュートリノにβ崩壊することが知られている。この反応はハドロンを含むβ崩壊の中で最も単純な崩壊であり、中性子寿命の値はCKM行列のユニタリ性や反ニュートリノ・陽子の反応断面積の決定などに用いられる。また、ビッグバン直後の元素合成における重要なパラメーターでもある。そのため、世界の研究機関において中性子寿命を精密に決定するための実験が行われているが、近年測定手法の違いによって有意に異なる測定値が報告され問題となっている。 中性子の寿命は今まで主に2種類の方法で測定されてきた。一つは中性子ビームのフラックスとβ崩壊で生成される陽子の計数を測定することにより寿命を算出する方法、もう一つは超冷中性子を容器内に閉じ込め、減少量から寿命を導出する方法である。測定精度は前者が 2 秒、後者は 1 秒以下であるが、それぞれによる報告値の平均値には現時点で 7.2 秒(3.6 σ)のずれがあり(図6)、すなわち誤差の範囲を超えて食い違っている。このような状況を打開するために、我々は J-PARCパルス中性子源を用いた中性子寿命測定実験を開始した。この実験ではβ崩壊からの電子を検出することで、過去の実験とは異なる手法で1秒の精度を導出する。同様の手法を用いた実験はKossakowskiらが1987年に報告した約 30 秒の精度での測定が最後となっている。
本研究グループはこの中性子寿命精密測定実験のための検出器として、Time Projection Chamber(TPC)を開発した(図7)。検出器は長さ約 1 m で、中性子ビームを 30 ㎝ 程度のバンチに整形して検出器内部を通過させ、中性子のβ崩壊で発生する電子の計数と高精度で混合された 3He による 3He(n,p)3H 反応の計数の比から中性子寿命を導出する。この際、天然に存在する放射線バックグラウンドが問題になるため、TPCをPEEK樹脂で作成することで天然放射線を低減し、S/Nを向上することに成功した。また、検出器内部で散乱された中性子によるバックグラウンドの影響を除去するため、ガンマ線を発生せずに中性子を吸収する 6Li を同位体濃縮したフッ化リチウムとPTFEを混合し焼結したタイルで内側を覆っている。その他、解析手法やデータ取得法の工夫により、これまでに取得した少量のデータを用いることでも Kossakowski らの精度を上回って中性子寿命を決定できる見込みである(業績1)。そして今後予定しているビーム輸送系の増強に伴って 1 秒の精度に到達することを目標にしている。

(業績1)

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図6. 中性子寿命の測定値。中性子ビームからβ崩壊で生成される陽子の計数から寿命を算出する手法(赤)と超冷中性子を容器内に閉じ込める手法(青)を示す。2015 年 8 月時点で 7.2 秒(3.6 σ)の違いが報告されている。

 

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図7. 中性子寿命測定に開発した検出器(Time Projection Chamber)。バンチ化した中性子ビームが検出器内部を通過し、β崩壊で生成した電子を検出する。