第42回物質構造科学研究所中性子共同利用実験審査委員会(KENS PAC)を7/5に開催し、S1型課題の2016B期のビームタイム、マルチプローブ課題の審議を行うとともに、MLF一般長期課題や中性子源の運用などについて意見交換を行った。
金属強磁性体SuRuO3のスピンダイナミクスとワイルフェルミオン
伊藤晋一1、遠藤康夫1,2、横尾哲也1、井深壮史1、Je-Geun Park3、金子良夫2、高橋圭2、十倉好紀2、永長直人2
1KEK、2理研CEMS、3基礎科學研究院
SrRuO3は、ペロブスカイト型の結晶構造をとり、磁性原子であるRuがほぼ単純立方格子に配置される金属強磁性体である。キュリー温度TC(強磁性転移温度)は165Kであり、4d電子系の中で強磁性を示す珍しい例である。また、鉄をはじめ、多くの立方晶強磁性体では磁気異方性が小さく、スピン波はほとんどギャップレスであるのに対し、SrRuO3は大きな磁気異方性を示す。異常ホール伝導度が温度や磁化に対して非単調に変化することもSrRuO3の特徴のひとつである。
SrRuO3の特徴的な点は、そのバンド構造にある。強磁性体では、交換分裂により、↑スピンと↓スピンのバンドに分裂する。そのため、フェルミエネルギー以下の↑スピンと↓スピンの数が異なり、その差が磁化を与える。分裂したバンドが、反対スピンを持つ別のバンドと重なる場合、一般的にはスピン軌道相互作用によりアンチクロスしてギャップを生じるが、ある運動量に対してはギャップが閉じてバンド交差を起こす。バンド交差におけるエネルギー分散は、相対論的量子力学を記述するディラック方程式で質量をゼロとおいたものと数学的に等価な構造を持つので、この電子状態は、ワイルフェルミオン(質量がないと考えられていたニュートリノを記述しようとしたもの)あるいは質量のないディラック電子と呼ばれる。このバンド交差に対するベリー曲率は運動量空間でのモノポールの磁場の関数型で表現され、モノポールの仮想的な磁場が異常ホール効果の起源となる。実際、SrRuO3の異常ホール伝導度の非単調な振舞はこの描像でよく記述できる[1]。すなわち、SrRuO3にはモノポールという仮想的な磁場が働いているが、我々は、この仮想的な磁場をスピンダイナミクスとして検出するために、中性子非弾性散乱実験を行い、スピン波を観測した。
SrRuO3は、中性子非弾性散乱実験に必要な大型の単結晶試料の合成がごく最近まで成功していなかった。我々は、多結晶試料のSrRuO3を用いて、J-PARC・MLFのBL12に設置された高分解能チョッパー分光器HRC[2]で、中性子ブリルアン散乱実験を行った[3]。多結晶試料のスピン波の散乱強度は、運動量ゼロ近傍のみが残り、運動量が大きくなると粉末平均によって急速に減衰する。運動量ゼロ近傍を観測する前方散乱近傍の中性子非弾性散乱を中性子ブリルアン散乱と呼ぶ。中性子ブリルアン散乱の実験条件を実現するためには、低散乱角(前方散乱近傍)で、高いエネルギーの中性子を入射し、高分解能を実現し、中性子散乱の運動力学的限界に迫る実験条件で実験する必要がある。HRCは同種の分光器に比べて低散乱角に中性子検出器が配置されていて、高いエネルギーの中性子を高分解能で利用できるので、今回の実験に必要なエネルギー運動量空間にアクセスすることができた。この空間は、MLFではHRCのみがアクセスできる。
SrRuO3の多結晶試料を用いて、HRCで中性子ブリルアン散乱実験を行い、スピン波のエネルギーを温度の関数として正確に測定した。その結果、図1(a)に示すように、スピン波のエネルギーは、温度に対して非単調な変化をすることが明らかになった。また、非単調な温度変化をするスピン波のエネルギーは、非単調な異常ホール伝導度(図1(b))の関数として表わされることを見いだした。金属強磁性体における異常ホール効果は、電子状態の量子力学的な位相であるベリー位相の効果で生じる現象であり、異常ホール伝導度はベリー位相で表現される。ベリー位相は、これまで、スピントロニクスの研究において、輸送現象で議論されてきたが、今回の実験結果は、輸送特性以外の現象、すなわち、スピンダイナミクスとして捉えることができることをはじめて示したものである。この成果は、スピンダイナミクスの研究に新しい視点を与えるものであり、大きな学術的意義がある。
本研究は、Nature Communicationsに掲載された[4]。また、2016年6月17日付け科学新聞で取り上げられた。
参考文献
[1] Z. Fang et al., Science 302, 92 (2003).
[2] S. Itoh et al., Nucl. Instr. Meth. Phys. Res. A 631, 90 (2011).
[3] S. Itoh et al., J. Phys. Soc. Jpn. 82, 043001 (2013).
[4] S. Itoh, Y. Endoh, T. Yokoo, J.-G. Park, Y. Kaneko, K. S. Takahashi, Y. Tokura, N. Nagaosa, Nature Communications 7, 11788 (2016).
図1. HRCの中性子ブリルアン散乱実験で測定したSrRuO3のスピン波のエネルギーの温度変化(a)とSrRuO3の異常ホール伝導度の測定値(b)。(a)の実線は(b)を用いて表わされる理論曲線、(a)の点線は磁化の温度変化、(b)の実線は実験値を表現するためのものである。横軸は温度(T)をキュリー温度(TC=165 K)で割ったもの。縦棒は実験誤差。スピン波のエネルギーの温度変化が磁化の温度変化に一致しないことが、内部磁場以外の要因が働いていることを示している。
成果リスト
装置整備・開発等
「信号が青から赤へ」左の写真は4月の報告で掲載した「青信号」。PPS検査合格に伴い、いよいよシャッターを含むPPSインターロックの稼働が始まり、信号に命の灯がともった。6月は放射線変更申請に伴う施設検査を受審し、これで信号が赤に変わった。スタート!次は第一コーナーに飛び込むのである。
図2. シャッター点灯の様子。
大面積1次元楕円集光ミラーの開発とそれを用いた中性子反射率測定(理研, KEK, 京大, 北大の共同研究)
中性子反射率法は物質の界面で反射された中性子を計測し、その干渉を利用することによって数nm~数百nmスケールにおける深さ方向に対する散乱振幅密度の分布を観察する手法である。中性子は物質透過性が著しく高く、物質に内在する「埋もれた界面」を容易に評価することが可能な上、重水素化ラベル法を用いることによって特定の部位にコントラストを付けて観測できるというメリットがある。
J-PARC MLFのBL16に設置された試料水平型中性子反射率計SOFIAは大強度パルス中性子ビームを生かした短時間測定と低いバックグラウンドを特徴とする装置である。また、2次元検出器を利用した入射角分布の補正や非鏡面反射測定やダブルフレームモードを利用した時分割測定おけるwide-Q領域測定、測定プログラムにおける入射ビーム強度に対する最適化や試料アライメントの自動化などを実装しており、高いスループットと利便性を兼ね備えている。一方、光学系や検出器についてはそれぞれダブルスリットコリメーションと6LiF/ZnSシンチレーターを採用したコンサバティブなもので、改良の余地が残されている。これに対し我々は、大面積1次元楕円集光ミラーを用いた試料集光光学系のための中性子ミラー開発を行った。これにより、小さな面積の試料に対して大きな発散のビームを利用できるようになり、ビームサイズと同時にビーム発散も同時に小さくする必要があるダブルスリットコリメーションに対する大きなアドバンテージとなる。
本研究では、集光ミラーの素材としてNiPめっきを施したアルミ材を採用し、機械加工により幅60 mm、長さ550 mmの1次元楕円集光ミラーを製作した。この大面積に対してスーパーミラーを成膜することは困難であるため、ミラーの母材は中央で2つのピースに分割し、成膜後に組み上げることで大面積を実現した。ミラーの外見および形状は図3に示す通りで、大面積にも関わらずミクロンスケールでの精度誤差が得られた。これを実際にSOFIAに据え付けて集光特性を評価したところ、半値全幅で0.34 mmのビームサイズを得ることに成功した。また、実際に試料を用いた反射率測定を行い、約3倍の強度ゲインが得られることを確認した(図4)。この強度ゲインはミラーの集光サイズに比例しており、今後の改良で仮に0.1 mmの集光スポットが得られれば、その強度ゲインは10倍に達する見込みである。
参考文献
[1] S. Takeda et al., Opt. Express, accepted.
図3. 本研究で製作した1次元楕円集光ミラーの外寸、写真、および形状。
図4. 本研究で製作した1次元楕円ミラーを用いた反射率測定の結果。
高ナトリウムイオン伝導体の高温構造(東大、京大、高エネ機構)
ナトリウムイオン電池の正極材として最近開発されたNa2.5Fe1.75(SO4)3の高温構造とナトリウムイオン分布をSuperHRPDで調べた結果、[001]方向にナトリウムイオンが伝導するチャンネルを見出した。(Chem. Materials 28, 2393 (2016).)
成果リスト
ヒドリドイオン "H-" 伝導体の発見(分子研、JST、東工大、京大、高エネ機構、J-PARC)
ヒドリドイオン "H-" 伝導体の発見(分子研、JST、東工大、京大、高エネ機構、J-PARC) 水素の陰イオンであるヒドリド (H-) がイオン伝導する新しい固体電解質La2-x-ySrx+yLiH1-x+yO3-y (以下LSLHO) を開発し、その結晶構造をSPICAで解明した。LSLHOがK2NiF4型構造をとり、Liと陰イオンで構成されるLiX6 (X=H-,O2-) 八面体の頂点位置をO2-が、LiX4面内をH-が選択的に占有すること、x>0の組成では、LiX4面内のH-が欠損し空孔が導入されることなどを明らかにした。(平成28年3月18日プレス発表、Science 351, 1314(2016).)
成果リスト
超イオン伝導体を発見し全固体セラミックス電池を開発(東工大、トヨタ、高エネ機構、J-PARC、茨城県)
世界最高のリチウムイオン伝導率を示す超イオン伝導体Li9.54Si1.74P1.44S11.7Cl0.3とLi9.6P3S12を発見し、従来の3倍以上の出力特性を持つ全固体セラミックス電池の開発に成功した。iMATERIAを利用した構造解析により、Li9.54Si1.74P1.44S11.7Cl0.3が従来のLGPS(リチウム・ゲルマニウム・リン・硫黄)系固体電解質とは異なり、室温においても三次元のイオン伝導経路が存在し、高い電池性能の発現に寄与していると考えられることがわかった。(平成28年3月22日プレス発表、Nature Energy 1, 16030 (2016).)
○成果リスト