◆ 研究成果
静的には異なるが動的には酷似する磁気状態の発見
H. KikuchiA, S. AsaiA, H. ManakaB, M. HagihalaC, S. ItohC, and T. MasudaA,C,D
A東京大学物性研究所、B鹿児島大学大学院理工学研究科、C高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所、D東京大学トランススケール量子科学国際連携研究機構
フラストレート磁性体は、相互作用の競合によって様々な磁気相が発現することから多くの注目を集めている。特に、三角形を基本ユニットとする三角格子、カゴメ格子、パイロクロア格子などは、フラストレート磁性体の代表的な格子系である。1次元の例としては、三角形が1方向に積層する三角スピンチューブが理論的に広く研究されている。S = 1/2ハイゼンベルグスピンでは、スピン相関が指数関数的に減衰し、基底状態はスピンギャップを持つ非磁性状態であることが知られている[1]。さらに異方性や磁場によってカイラル秩序を持った朝永ラッティンジャー液体(TLL)相の発現が予想されている[2]。
実際の物質では、小さいながらも存在するスピンチューブ間相互作用によって、様々な磁気秩序が現れる可能性がある[3]。CsCrF4は、唯一の正三角スピンチューブ候補物質として知られていた。スピンチューブはc軸方向に走っており、チューブに垂直なc面内の結晶構造は図1(a)のようになっている。磁化率と比熱の測定では相転移は確認されておらず、当初はTLL液体の可能性が指摘されていた[4]。しかし後の中性子回折実験から、低温では図1(b)に示される伝播ベクトルqLTの120°構造が観測され、さらに昇温させると図1(c)に示される伝播ベクトルqITへの逐次相転移が明らかにされた[5]。本研究では、粉末試料を用いて非弾性中性子散乱(INS)実験を行い、スピンハミルトニアンを決定し、逐次相転移下で現れる異なる磁気状態に光を当てた。
実験はJ-PARC MLFのHRC分光器により行われた[6]。図1(d)はINSスペクトルのdiffraction部分を示しており、低温(LT)相の0.8 Kでは伝播ベクトルがqLT、中間(IT)相の3.1 Kでは伝播ベクトルがqITを示す磁気ブラッグピークが観測された。先行研究通り、静的には異なる構造であることが分かる。次にLT相のINSスペクトルと計算スペクトルを図1(e)と図1(f)に示す。ハミルトニアンはDM相互作用と単イオン異方性を含むハイゼンベルグ三角スピンチューブを用い、計算は線形スピン波理論を用いた。計算は実験結果をよく再現していることが分かる。図1(g)はIT相のINSスペクトルである。驚くべきことに、静的なdiffractionプロファイルはIT相とLT相で異なっているにも関わらず、動的なINSスペクトルはIT相とLT相とで非常に良く似ている。IT相のINSスペクトルについてもLT相と同様の解析を試みたが、計算は実験結果を再現しなかった。これは逐次相転移の起源が、微小な格子歪みによるスピンハミルトニアンのパラメータの変化によるものではないことを意味している。
基底状態相図を計算すると、INS実験で得られたスピンハミルトニアンのパラメータは、伝播ベクトルqIT及びqLTを示す磁気相の境界付近に位置していることが分かった。このことはLT相の内部エネルギーがIT相のものに近いことを示唆する。高温ではエントロピー項が内部エネルギー項よりも支配的になるため、逐次相転移の起源はスピンエントロピー利得であると考えられる。このようなフラストレート磁性体における逐次相転移においては、静的には異なるが動的には酷似する一見不思議な磁気状態が現れることを明らかにした。
[1] K. Kawano, and M. Takahashi, J. Phys. Soc. Jpn. 66, 4001 (1997).
[2] T. Sakai, M. Sato, K. Okunishi, Y. Otsuka, K. Okamoto, and C. Itoi, Phys. Rev. B 78, 184415 (2008).
[3] K. Seki and K. Okunishi, Phys. Rev. B 91, 224403 (2015).
[4] H. Manaka, Y. Hirai, Y. Hachigo, M. Mitsunaga, M. Ito, and N. Terada, J. Phys. Soc. Jpn. 78, 093701 (2009).
[5] M. Hagihala, S. Hayashida, M. Avdeev, H. Manaka, H. Kikuchi, and T. Masuda, npj Quantum Mater. 4, 14 (2019).
[6] H. Kikuchi, S. Asai, H. Manaka, M. Hagihala, S. Itoh, and T. Masuda, Phys. Rev. B 107, 184404 (2023).
図1. (a) CsCrF4の結晶構造。Cr3+がS = 3/2の正三角スピンチューブを形成する。(b) CsCrF4のLT相の磁気構造。(c) CsCrF4のIT相の磁気構造。(d) Ei = 3.1 meVで測定されたINSスペクトルの弾性散乱部分。(e) Ei = 15.3 meV 、T = 0.8 K(LT相)で測定されたINSスペクトル。(f) 線形スピン波理論を用いて計算されたLT相のINSスペクトル。(g) Ei = 15.3 meV 、T = 3.1 K(IT相)で測定されたINSスペクトル。
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