KENS

KEK

月例研究報告 7月

1. 研究グループの活動状況

(1) ソフトマターグループ

【 BL16ソフト界面解析装置SOFIA 】

◆ 装置開発

多入射中性子反射率法(MI-NR)の開発状況

1. 背景

 中性子反射率法(NR法)は平板状の試料に対して一定の入射角でビームを導入し、入射角と等しい反射角で反射した「鏡面反射」を計測し、その干渉縞から試料表面に存在する薄膜のナノ構造を評価する装置である(シャボン玉の色から膜厚を評価することに対応する)。この際、構造に対応した干渉を測定するためには、入射角θまたは波長λを徐々に変えることによってQを走査する必要があるが、反射率法においては入射角と反射角が等しいという制約が課されているため、中性子散乱法のように検出器を広い角度範囲に敷き詰めるだけでは、広いQ空間を一度に測定することができない。これに対し、J-PARC MLFのようなパルス中性子を用いると、飛行時間法により入射角は固定のまま波長を走査することができるため、一度に広いQ領域を測定することが可能になる。Qの走査範囲は入射角と利用可能な波長幅(パルスの間隔が長く、装置の全長が短いほど広くなる)で決まり、SOFIAでは発生するパルスを2回に1回だけ使用するダブルフレームモードを整備するなどして、表面・界面のナノ構造に起因した干渉縞が経時変化する様子をなるべく広いQ領域で時分割測定できるよう工夫を凝らしてきた。しかし、それでもなおQ領域は限られているため、対象とする層の膜厚dに対してθが不適切だと干渉を観察することができない。つまり、厚い層を観測するときはθを小さく、薄い層を観測するときはθを大きく、そして厚い層と薄い層が混在する場合はその両方を、つまり広いQ領域を観測する必要がある。通常の測定であれば単純に複数点θを変えた測定を行えば良いが、経時変化測定においてはθを変える間に構造が変化し、データを失う恐れがあるため、「常にデータを取得し続ける」ことが強く要求される。実際、図1で例として示しているオペランドNR測定[ H. Kawaura et al., ACS Appl. Mater. Interfaces 8, 9540-9544 (2016) ]では、厚い膜(およそ15 nm以上)の干渉にフォーカスしてθを固定し、λ依存性のみを評価することで高速時分割測定に成功したが、それより薄い膜に対応するデータが欠けていたため、十分な空間分解能を得ることができなかった。
 この問題を解決するために、現在SOFIAでは「多入射中性子反射率法(MI-NR)による高分解能オペランド測定」を目指したアップグレードを行っている。MI-NR法では入射ビームの光学系を工夫することによって、図2に示すように試料に「複数の角度で中性子を入射」できるようにし、異なるθでの反射を同時に計測する。前述の通り、NRで対象とする鏡面反射は入射角と反射角が等しいため、それぞれのシグナルを分離して計測することが可能で、これによりSOFIAで測定可能なQ領域(数nm~数百nmの構造に対応)のデータを「常に計測し続ける」ことができる。これは、オペランドNR測定において空間分解能が劇的に向上することを意味しており、また通常の反射率測定においても角度を走査する時間が省けるため、測定時間の短縮に繋がると期待できる。アップグレードは科学研究費補助金 基盤研究(A) 多入射中性子反射率法の開発とそれによる全固体型リチウムイオン電池のオペランド計測 (2019-2022年度; 研究代表者: 山田悟史)のサポートを得て、2022年夏に本格的な機器のアップグレードを実施した。コロナ禍の影響や予期せぬ機器のトラブルにより計画は遅れ、科研費の期間中に全てを完遂することはできなかったが、あと一歩で完成と言うところまで達成している。
 本レポートでは、アップグレードの計画と進捗、今後の展望について報告を行う。


 

図1. 中性子反射率法を用いた時分割測定。


 

図2. MI-NRのコンセプト。


 

2. アップグレードの計画

 通常、上記のような大幅な改良を行うためにはビームラインを一から作り直す必要があるが、SOFIAは既に完成された装置としてユーザーへの供用を行っているため、この方法は適当では無い。そこで、これまで理研・京大複合研と共に開発してきた集光ミラーによる結像光学系を活用することにより、最低限の改造でMI-NRを実現する方法を検討した。
 SOFIAでは水面などにビームを照射するために2.2度下向きにビームを取り出しているが、まずこれを2つに分岐する。それぞれのビームは異なるディスクチョッパー(波長バンドを決定する)・集光ガイド管(ミラーで仮想光源に粗く集光する)を通して仮想光源となるスリットに導かれる。この仮想光源を通ったビームは1次元楕円形状に精密加工された精密集光ミラーで2回反射させ、試料位置において2.3°の角度差で交差する(ミラーで曲げられる中性子の角度は1°以下と小さいため、精密集光ミラーで2回反射させることでこれを実現する)。これにより、異なる入射角で試料に入射されたビームは表面・界面の屈折率差に応じて一部反射し、これをそれぞれ異なる検出器で計測する。計測された中性子強度は入射強度で規格化し、かつθとλの異なるデータを反射面に対して垂直方向の中性子の運動量遷移Qz(=4πsinθ/λ)で規格化した上で積算することによって反射率のQz依存性を得ることができ、さらにこれをモデルフィッティングにより解析することで深さ方向に対する屈折率の依存性を得ることができる。この際、膜厚dの層に起因した干渉の周期ΔQzは2π/dとなるため、測定に要求される最小膜厚をdminとすると、NR測定に必要なQz領域の目安は全反射臨界角(一般的に用いられるSi基板の場合Qz ~ 0.1 nm-1)から2π/dminとなる。図3に示す通り入射角に応じて波長バンドとビームサイズに調整すると0.09 < Qz < 3.3 nm-1の逆空間領域がカバーでき、このときのdminは約2 nmとなる。上記のデザインは論文[ N. L. Yamada et al., J. Appl. Crystallogr. 53 (2020) 1462–1470 ]でそのコンセプトを発表したが、これを実現するためには、以下のような要素技術が必要となる。

  • ビームを2本に分岐する輸送系:中性子反射率法において、最適な光学条件はビームの入射角に依存する。MI-NRでは、2つの異なる角度でビームを入射する必要がある上、浅い角度のビームは波長バンドを広くするために中性子パルスを2回に1回間引く必要がある。そこで本研究では2つの仮想光源を独立に制御できるようにし、装置上流部ではその仮想光源にビームを導くための新たなディスクチョッパーと集光ガイド管からなる輸送系を構築することで、これを実現する。
  • 小さな試料に対応するための精密集光ミラー:中性子反射率法ではビームが照射されるエリアに渡って「均質な」試料が要求される。特に、本研究で用いる全固体電池など最先端材料ではプロセスや入手性の観点から試料サイズを大きくしづらいため、超精密集光ミラーを用いた光学系を採用することにより、10 mm角程度の小さな試料に発散の大きなビームを入射し、後述の検出器と組み合わせることによってビーム強度のロスを補償することを目指す。
  • MI-NR法に特化した検出器の導入:2本に分岐したビームのそれぞれに高分解能・高検出効率・高計数率の検出器を1つずつ設置する。集光ミラーによる発散の大きなビームを用いると入射角θの分布が大きくなってしまうが、鏡面反射のみに着目すると、反射位置2θを高位置分解能で特定することにより、θの分布補正することができる。

 これらの要素の中で最も難しいのが2枚×2組の精密集光ミラーである。SOFIAでは既に1枚の集光ミラーを用いて0.17 mmのビームサイズを実現している[ T. Hosobata et al., Opt. Express 27 (2019) 26807–26820; 日本中性子科学会 技術賞受賞]が、この集光サイズは形状精度のズレに起因している。図3の光学系は焦点間距離が現在の半分になるため集光サイズも半分になり、今と同じ形状精度でも0.1 mmを下回る。これは斜入射によってビームが試料面で広がる効果を考慮しても6 mm以下のビームサイズとなり、要求仕様の10 mmを満たしている。ただし、これは最適な角度でビームを入射した場合の話であり、MI-NRでは「試料位置でビームが交わる」という拘束条件のため、必ずしもこれが満たせるとは限らない。よって、集光ミラー自体の形状精度に加えて、設置精度もビームを小さく絞る上での課題となり、これを解決するための開発が必要である。


 

図3. MI-NRの光学系。


 

3. アップグレードの状況

3.1 ビーム輸送系

 図4にアップグレード後のビーム輸送系の図面と設置した機器の写真を示す。ビームポートの出口から出射されたビームは最初にディスクチョッパーで用いる中性子の波長バンドを選別する。前述の通り、浅い角度のビームは中性子パルスを2回に1回間引くことで長波長まで利用できるようにし、測定時間が長い深い角度のビームは通常の繰り返し周期で使用することにより強度ロスを防ぐ。チョッパーを通ったビームはセパレーターと呼ばれるクロストークを防ぐためのミラーにより上下に分岐し、下流の集光ガイド管に導かれる。集光ガイド管の上面と下面は楕円形状をしており、それぞれ浅い角度と深い角度のビームに対応する仮想光源へとビームを導く設計となっている。


 

図4. アップグレード後のビーム輸送系。


 

図5. 仮想光源位置でのビームプロファイル。


 

 図5に仮想光源位置において、片側のチョッパーのみを開いた状態でのビームプロファイルを示す。緑のプロファイルが浅い角度、青のプロファイルが深い角度のビームに対応するプロファイルで、34 mm離れた位置でピークを示している。これは設計値の34.5 mmとほぼ一致しており、高い精度でガイド管を組み上げることに成功したと言える。なお、黄色の背景で示しているのが緑と青でクロストークの無い領域で、下流の集光光学系を構築する際には、この範囲に仮想光源を設置することが要求される。ただし、この測定後にディスクチョッパーを回転させながらビーム調整を行ったところ、遠心力でペイントが剥離するという予期せぬ事態が生じた。チョッパーは長期メンテナンス中しか取り出す事ができず、すぐには補修することができないため、まずは光軸の調整に集中し、チョッパーの補修は後日行うこととして調整を進めた。


 

3.2 集光光学系

 図6に仮想光源以降の集光光学系における光線追跡(設計値)の結果と設置した機器の写真を示す。仮想光源のスリットにはシャープなエッジを出すために高い直線度で加工したホウケイ酸ガラス板の端面に強力な中性子の吸収剤であるガドリニウムを成膜し、25 µrad以下の精度で平行度の調整を行った。また、精密集光ミラーの加工については、ミラー面はもちろん、組み付け治具も超精密切削加工機を用いて形状と高さの調整を行い、対向する2枚のミラーを高い設置精度で組み上げ、これを上流側と下流側の2セット作成してビームラインに設置した。楕円面はレーザー干渉計で形状測定を行うことでマクロな楕円形状を評価し、そこからの差分から傾き誤差が半値全幅で30-50 µrad程度であることがわかった。光源からミラーへの入射角をこの楕円形状に合うようにビームを照射すれば、焦点位置でのビームの広がりはこの傾き誤差に従って分布することとなり、今回の焦点間距離だと半値全幅で70-120 µm程度であると予想される。


 

図6. アップグレード後の集光光学系。


 

 以上の機器を設置し、中性子ビームを使って調整を行い、2つのビームが試料位置でほぼ同じ位置に来るように調整した結果が図7に示すプロファイルである。少し調整が甘かったため、60 µmほど中心位置がずれているが、仮想光源の位置をもう少し調整することで完全に合わせることが可能である。なお、この際のビームの半値全幅は浅い角度のビーム(赤)が270 µm、深い角度のビーム(青)が200 µmで、傾き誤差から見積もられる値よりも大きくなっている。これにはいくつか原因が考えられ、一つは2回反射させているため広がりが1回よりも増幅されること、もう一つが仮想光源スリット位置でのビームのわずかなズレが影響し、試料位置で同じ位置にビームを収束させるために最適な条件から外した状態で光学系を組まざるを得なかったこと、などの理由が挙げられる。


 

図7. 仮想光源位置でのビームプロファイル仮想光源位置でのビームプロファイル。


 

3.3 検出器

 既存の検出器はZnS/6LiFをシンチレーターとして用い、これを円筒形の位置敏感型光電子増倍管で検出することで中性子の計数を行っていたが、MI-NRで用いようとすると不感領域が多く、2つ並べても2本のビームを受けられないという問題があった。そこで、研究開始当初は高分解能・高検出効率・高計数率化のためにガス電子増幅器(GEM)を採用し、開発を行ったが、信号処理回路の部分でノイズ除去等の問題が生じたため、上記のシンチレーターを高検出効率・高計数率のものに、光電子増倍管の部分をデッドエリアが小さい正方形のマルチアノード型検出器に置き換えることにより、この問題を解決した。結果、検出効率が2倍程度、計数率は評価がきちんとできていないものの少なくとも2倍、分解能が1.5倍程度の性能向上を達成することができた(図8;論文[ F. Nemoto et al., Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. Sect. A 1040 (2022) 166988]より抜粋)。この検出器の良い所は既存の回路の改造だけで対応できたことで、上記の光学系で輸送された2本のビームを同時に計測できることも確認できた。


 

図8. (a)交換前の検出器(RPMT)と交換後の検出器(FRP)の検出効率の比較、および(b)交換後の検出器における位置分解能の検出位置依存性(中央部分で半値全幅がおよそ0.5 mmの分解能)


 

4.現状のまとめと今後の展望

 上記の通り、MI-NRの実現に向けて必要なそれぞれの機器について、一通りの動作確認を行うことができた。ただし、一部の機器は予想通りの性能が出せていないため、以下の通り対処を施すことにより、要求性能を達成することを目指す。
 以下、各コンポーネントの状況について箇条書きで示す。

  • ディスクチョッパー:ペイントが剥離し、中性子の遮蔽ができず使えない。現在、新しいディスクを製作中。付属のセパレーターは問題なく動作している。
  • 集光ガイド管:基本的には問題ないが、集光位置が設計値と微妙にずれている。放射化が激しい機器のため、これを再調整することはせず、下流の光学機器の再設計によりリカバリーを試みる。
  • 仮想光源スリット:問題なく動作しているが、スリットブレードの透過率が少し高いので、処置を検討中。
  • 精密集光ミラー:最新型の精密加工機を導入したが、その性能を生かし切れていなかったため、再製作を行う。形状精度を向上させて集光スポットのサイズを更に減らす事を試みると共に、集光ガイド管のズレを補償するよう、形状パラメーターの変更を行う。
  • 検出器:基本的には完成。データの読み出しを行うプログラムにバグが残っているため、これを修正する。

 また、現状として実際にMI-NRの光学系にて異なる角度のビームからの反射を同時に計測するには至っておらず、また精密集光ミラーの設計変更を行うため、中性子ビームを使った更なる調整が必要になる。調整に要する期間は1週間程度だと考えるが、実際にやってみると想定外の事態が生じることも予想される。電気代の高騰などにより運転日数が制限される昨今の事情を鑑みると、調整期間を分割し、ユーザーの共同利用の合間に徐々に調整を行うことも検討する。


 

◆ 論文等

  • Masayuki Saito, Norifumi L. Yamada, Kohzo Ito, Hideaki Yokoyama,
    "Mechanical Properties and Swelling Behaviors of Ultrathin Chemically Cross-Linked Polybutadiene Films",
    Macromolecules 56, 4000-4011 (2023).
  • Yoshihiko Shiraki, Masayuki Saito, Norifumi L. Yamada, Kohzo Ito, and Hideaki Yokoyama,
    "Adhesion to Untreated Polyethylene and Polypropylene by Needle-like Polyolefin Crystals",
    Macromolecules 56, 2429–2436 (2023).
  • Yuwei Liu, Noboru Miyata, Tsukasa Miyazaki, Atsuomi Shundo, Daisuke Kawaguchi, Keiji Tanaka, Hiroyuki Aoki,
    "Neutron Reflectometry Analysis of Condensed Water Layer Formation at Solid Interface of Epoxy Resins Under High Humidity",
    Langmuir, (2023).
  • 川口 大輔, 田中 敬二,
    "中性子反射率法に基づく異種相界面における高分子鎖の凝集状態",
    オレオサイエンス 23, 143-151 (2023).
  • 山田 悟史,
    "中性子反射率法を用いた気液・固液・液液界面吸着層の構造評価",
    オレオサイエンス 23, 127-133 (2023).
  • 檜垣 勇次,
    "荷電高分子ブラシ水和状態の中性子反射率法による研究",
    オレオサイエンス 23, 135-141 (2023).


 

◆ 受賞

  • 田中敬二,
    "表面及び界面における高分子鎖の熱運動特性",
    高分子学会, 2022年度高分子科学会賞(科学),
    (2023-05-25).
  • 松本拓也,
    "高分子側鎖による表面物性および構造制御",
    高分子学会, 2022年度高分子研究奨励賞,
    (2023-05-25).


 

(2) 水素貯蔵基盤研究グループ

【 BL21高強度全散乱装置NOVA 】

◆ 研究成果

ヒドリド伝導体LaH3-2xOxにおけるヒドリドダイナミクスの中性子準弾性散乱による探査

H. TamatsukuriA, K. FukuiB, S. IimuraC,D,E, T. HondaF, T. TadaG, Y. MurakamiC,F, J. YamauraC, Y. KuramotoF, H. SagayamaF, T. YamadaH, M. MatsuuraH, K. ShibataA, M. KofuA, Y. KawakitaA, K. IkedaF, T. OtomoF, and H. HosonoC,E,

JAEA J-PARCセンターA・山梨大学B・東工大元素セC・JST-PRESTOD・NIMSE・KEKF・九州大学G・CROSSH

 ヒドリド(H-)は、高速イオン伝導に適したイオン半径・電荷・電子分極率を持ち、2次電池への応用も検討されているMgに匹敵する酸化還元電位を有することから、高伝導度・高エネルギー密度を持った蓄電・発電デバイスへの応用が期待されている [1]。LaH3-2xOxは、特にx ≦ 0.5の組成では、300℃程度の中温度域で既報のH-伝導体と比べても非常に高いH-伝導度を示し、その伝導度は実用への目安値(10-2 S/cm)をも上回る [2,3]。
 本研究では、本系の高いH-伝導度の起源を解明するために、中性子準弾性散乱(QENS)実験によるイオンダイナミクスの探査を行った [4]。図9(b),(c)に示すように、エンドメンバーとなるLaH3-δ (x = 0, δ ≦ 0.09)において、長距離拡散と局所運動の二種類のダイナミクスの特定に成功した。長距離拡散では、ジャンプ距離が温度上昇と共に伸びていくことが判明した。本系のジャンプ拡散の経路は、サイト間距離が最短のTet - Octサイト間であると考えられ(図9(a)参照)、これは我々の分子動力学計算とも整合している。従って、温度変化するジャンプ距離は、本QENS測定のタイムスケール内に複数回のTet - Octサイト間ジャンプを行なう結果、見かけ上Tet - Tet間あるいはOct - Oct間を直接ジャンプしているように見える拡散様式の割合が変化していることによるもの、と解釈することが出来る。一方で局所運動は、ジャンプ確率に差を設けたTet - Octサイト間の2サイトジャンプモデルで記述することができた。H-は同じTet - Octサイト間を行ったり来たりする運動を行っているが、Tetサイトには留まる時間が比較的長いのに対し、Octサイトからは速やかに隣接の空席Tetサイトへとジャンプする。各サイトでのジャンプ確率の比は、温度上昇と共に1に近づく結果を得ており、高温ほどイオンダイナミクスが活発になることと整合している。また、散乱強度は小さいものの、モデルフリーのmode distribution解析の結果から、LaH3-2xOx (x ≠ 0)でも同様のダイナミクスが存在していると考えられる。
 これらのダイナミクスは、比較的近い値の活性化エネルギーを持ち(長距離拡散:159 meV, 局所運動:101 meV)、素過程として再隣接のTet - Octサイト間ジャンプを共有していることから連動しうることが予想され、またH-濃度が高いほど活発であった。これらの結果は、イオン間の多体効果を反映した協奏的イオン伝導メカニズムの描像と整合しており、本系の高いH-伝導度の起源であると考えられる。
 本研究の中性子準弾性散乱実験はBL02 (DNA)・BL14 (AMATERAS)、構造解析はBL21 (NOVA)を用いて行われた。本研究の結果はPhysical Review B誌に掲載された[4]。

参考文献
[1] G. Kobayashi et al., Science 351, 1314 (2016).
[2] K. Fukui et al., Nat. Commun. 10, 2578 (2019).
[3] K. Fukui et al., J. Am. Chem. Soc. 144, 1523 (2022).
[4] H. Tamatsukuri et al., Phys. Rev. B. 107, 184114 (2023).


 

図9. (a) LaH3-2xOxの結晶構造 [4]。La3+イオンが(擬)面心立方格子を形成し、アニオン(O2-/H-)が入りうるサイトとして、La3+イオンで構成される四面体中心のTetサイト、八面体中心のOctサイトの二種類が存在する。O2-によるH-置換によって、電荷中性を保つために空席サイトが導入され、O2-/H-共にTetサイトを優先的に占める。 (b) QENSスペクトルをローレンツ関数でfittingして得られた、長距離拡散モードに対応するローレンツ関数の半値全幅の波数依存性。実線は、サイト間のジャンプ拡散を記述する最も基本的なモデルであるChudley-Elliottモデルによるfitting曲線 [4]。(c)局所運動モードに対応するローレンツ関数の強度の波数依存性。実線は、ジャンプ確率に差を設けたTet - Octサイト間の2サイトジャンプモデルによるfitting曲線 [4]。


 

◆ 論文等

  • Yasuo Kameda, Yuko Amo, Takeshi Usuki, Yasuhiro Umebayashi, Hikari Watanabe, Kazutaka Ikeda, Toshiya Otomo,
    "Direct Determination of Intramolecular Structure of D2O in the First Hydration Shell of Ni2+",
    Journal of Molecular Liquids 382, 121927 (2023).
  • H. Ubukata, D. Kato, S. Kitade, T. Broux, C. Tassel, D. Schnieders, R. Dronskowski, H. Kageyama,
    "Structural Transformation in LnHS (Ln = La, Nd, Gd, and Er) with Coordination Change between an S-Centered Octahedron and a Trigonal Prism",
    Inorganic Chemistry 62, 6696–6703 (2023).
  • Makoto Minohara, Yuka Dobashi, Naoto Kikuchi, Seiya Suzuki, Akane Samizo, Takashi Honda, Keishi Nishio, and Yoshihiro Aiura,
    "Control of Hole Density in Russellite Bi2WO6 via Intentional Chemical Doping",
    Inorg. Chem. 62, 8940–8947 (2023).