KEK特別栄誉教授であり、1980年代の黎明期にフォトンファクトリーにおいて先駆的な研究を推進されたアダ・ヨナット(Ada Yonath)博士が、2026年8月31日にご逝去されました。
ヨナット博士は、フォトンファクトリーとの深い関わりを通じて日本の放射光科学の発展にも大きく貢献されました。その卓越した研究業績と温かいお人柄は、多くの研究者に深い感銘を与え続けています。
とりわけ、2023年9月末にフォトンファクトリーを訪問された際には、若手研究者によるPF次期光源計画の説明に熱心に耳を傾けられ、計画の推進に向けて力強い激励の言葉を寄せてくださいました。そのお姿は関係者の記憶に深く刻まれ、未来の科学を担う世代への変わらぬ期待と温かなまなざしを感じさせる、忘れがたい思い出となっています。
ここに生前のご功績に深く敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
物質構造科学研究所 所長
船守 展正
1980年代、大学院生〜若手研究者として、フォトンファクトリーで、アダ・ヨナット博士のサポートをしていた、(公財)高輝度光科学研究センター理事長の中川敦史博士からコメントをいただきました。
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2009年にノーベル化学賞を受賞された、イスラエル・ワイツマン科学研究所のAda Yonath博士が、2026年8月31日、87歳でご逝去されました。
Yonath博士と最後にお会いしたのは、2023年9月にフォトンファクトリー(PF)を訪問された後に立ち寄られた京都でのことでした。歩行器を使っておられましたが、足取りはしっかりしていて大変お元気なご様子でした。また、昨年末にもメールでやり取りをしていたことから、これからもまだまだご活躍されるものと思っており、突然の訃報に接し、いまだ信じられない思いです。
Yonath博士は、故・坂部知平先生が開発された巨大分子用ワイセンベルグカメラ(通称「坂部カメラ」)にいち早く注目され、BL-6A2(当時)が共同利用に公開された1987年から約10年間にわたり、PFのユーザーとしてたびたび来所されました。
当時、タンパク質結晶の低温測定はまだ一般的ではありませんでしたが、放射線損傷の激しいリボソーム結晶から高分解能の回折データを収集するためには、放射線損傷を抑えることが大きな課題でした。Yonath博士は早くから低温測定の重要性に着目し、ドイツから巨大なガラス製の低温窒素ガス吹付装置をPFに持込み、試行錯誤を重ねながら実験を続けておられました。「誰が使ってもよい」と言ってくださっていたのですが、ガラス製の大きな装置を壊してしまうのが怖くて、私たちで使う事はできませんでした。
PFにイメージングプレート(IP)の読み取り装置が導入される以前には、つくば市東光台にあったERATO宝谷プロジェクトの難波啓一さんのところの装置をお借りしていました。Yonath博士や研究室のメンバーとともに、IPの読み取りのために深夜から一晩を過ごしたことも、今となっては懐かしい思い出です。
当時、リボソームの原子レベルでの構造解析は、タンパク質結晶学に立ちはだかる巨大な壁であると同時に、結晶学者にとっての夢でもありました。Yonath博士は1970年代末からリボソームサブユニットの結晶化に取り組み、1983年には50Sサブユニットの三次元結晶を報告するなど、その可能性を追求し続けました。1990年代後半になると、Tom Steitz博士やVenki Ramakrishnan博士らのグループとの間で高分解能構造決定をめぐる激しい競争が繰り広げられました。2000年にYonath博士らは高度好熱菌由来30Sサブユニットの構造を3.3 Å分解能で決定し、Cellに報告しました。ほぼ同時期にRamakrishnan博士らによる30Sサブユニット、Steitz博士らによる50Sサブユニットの高分解能構造も報告され、それらの成果を含め、2009年に3人にノーベル化学賞が授賞されています。
しかし、その実現可能性さえ疑問視されていた時代からこの困難な課題に挑み続け、結晶化、低温測定、放射光利用など、その後のリボソーム結晶学につながる道を切り拓いたことにこそ、Yonath博士の先駆者としての大きな功績があったと思います。
Ada Yonath博士の長年にわたる科学への多大な貢献に深い敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
KEKの特別栄誉教授称号授与式のためつくばを訪れたYonath博士と、1980年代当時のビームラインスタッフ。左から2人目が中川博士(2010年3月撮影)