物質の構造は機能とリンクする。従って物質の構造を分子レベル、原子レベルで正確に理解すること、そして分子同士や分子集団間の相互作用を階層を追って理解していくことが重要である。その中で物質中の階層構造を観る「X線小角散乱」という手法がここ数年、活気を帯びてきている。
X線小角散乱(SAXS, Small Angle X-ray Scattering、溶液試料の場合は溶液散乱とも言う)は、その名の通り試料から散乱されるX線のうち、およそ~5度までの小さい角度領域の散乱を計測する手法のこと。散乱される角度の大きさは試料情報の細かさに反比例する。原子配列のようなオングストローム(10-10m, 0.1nm)オーダーの情報は広角(~30度)に、分子や分子集団による周期構造など、数10~数100ナノメートルオーダーの情報は小角散乱の領域に散乱される(図1)。手法自体は古くからあり、DNA二重らせん構造を決めたワトソン・クリックのX線回折像(1953年)も小角散乱像だ。フォトンファクトリー(PF)でも、設立当初の1980年代から2本のビームラインがあり、高分子等の材料系分野や生物の分野等で幅広く利用されていた。例えば、アミノ酸が鎖状に繋がり、折りたたまることで出来上がるタンパク質では、その折りたたみ過程がどのように進むのか、またタンパク質同士がどのように結合しているのか(複合体)などを調べるために利用されていた。
「一番大きな要因は、小角だけでなく高角まで広い角度範囲を一度に測定出来るようになったことです。そして、検出器と解析手法の発展ですね」。PFの小角散乱ビームラインの整備を一手に担ってきた清水伸隆准教授は振り返る。小角・高角同時測定、つまりミクロな原子配列とマクロな分子や分子集団の並びによる構造の変化を同時に見る。例えば温度変化によって構造が変わる場合、ミクロな構造とマクロな構造のどちらが先に変化するか、何がきっかけとなって変化が起こるか、という階層をまたいだ構造変化を一度に追うことが出来る。国内ではSPring-8やPFのBL-9Cで2000年代中頃より小角・高角同時測定が実用化されている。もともと小角散乱の検出器には、国内ではレントゲン写真などにも使われているイメージングプレート(IP)とカメラなどにも用いられるCCDイメージセンサが主に利用されてきた。IPは弱いシグナルから強いシグナルまで幅広く(5桁以上)検出できるが、読み出し時間がかかるという弱点があった。一方、CCDイメージセンサは読み出しが速いものの、検出できるシグナルの幅が4桁程度と狭い。ビーム中心周辺の小角領域から広い角度範囲を計測するとX線強度は数カウント/秒から10万カウント/秒まで6桁にわたり変化することもある。このような広範囲を歪みなく、高速で検出できることが必要だった。転機となったのは、スイスのポールシェラー研究所(PSI)が開発した大面積ピクセル型検出器PILATUSの登場。2010年頃から世界の放射光施設の小角散乱ビームラインに次々に導入され、小角・広角の2台、さらには中角も含めた3台による同時測定系も整備された。特に材料系分野では標準装備となっている。また生物分野では、2000年頃に溶液散乱曲線から分子概形を推定する解析ソフトウェアが公開され、原子レベルの構造が得られる結晶構造解析と溶液散乱を組み合わせた解析が行なわれるようになった。これらが生物分野、材料系分野からの利用を押し上げ、世界的に爆発的な増加となった。
一方、国内ではどうだろう。材料系分野では同様に増加したものの、生物系のユーザーは減少の一途をたどっていた。主な原因は2つ。1つは生物分野の測定に対応した最新の測定装置が整備されなかったこと。もう1つは、それをリードする研究者が施設側から居なくなってしまったこと。こういった状況から清水准教授は、世界と戦える装置を備えたビームラインと、新しいユーザーを支援する研究環境を整えるために、五十嵐教之准教授、森丈晴専門技師、大田浩正氏(三菱電機SC)と共にPF内の各所と協力して小角散乱ビームラインの高度化を進めてきた。
「最も重要なのは実験するユーザーにとって使い易いことです。セットアップ~測定~解析まで全てユーザーフレンドリーであることを目指しています」。ビームや装置のセットアップ、測定・解析、データの持ち帰り、それらがストレスなく簡便に行えること。かつては装置のセッティングはもちろん、サンプルを作る人、それを試料ホルダーに詰める人、データを取る人、と実験には多くの時間と人手が必要だった。それを劇的に改善し、装置というハードと運用するソフトを繋げた。これは自らビームライン設計も装置を利用する実験も、両方行う清水准教授だからこそ実現できた、まさに痒い所に手が届いた設計。そしてそれを実現させた永谷康子氏ら技術職員。PFにはビームライン制御のためのスタッフがおり、ソフト開発、プログラム制御などを専門的に行う。彼らの強力なサポートあっての実現であったと清水准教授は語る。単に装置が新しくなるだけでなく、使い勝手の良い更新は鮮烈だった。
設備や使いやすさを充実させた今、次はそこで展開される研究支援の段階に移っている。現在、高分子を中心とした材料系分野は高木秀彰氏、タンパク質の溶液散乱には西條慎也特任助教が中心となってユーザーサポートをしている。加えて、両氏共に自ら最新の設備を利用した最先端の研究も行なっている。高木氏の開発した新たな測定手法や、それによる利用分野の開拓は、平成27年度繊維学会奨励賞を受賞するなど実績が認められている。
また、解析を支えるソフトウェアの開発も進められている。研究支援員の谷田部景子氏と高橋正剛氏は、初心者でも使いやすいソフトウェア開発を清水准教授と共に進めている。これらの結果は徐々に表れ始めている 。停滞気味だった利用課題の申請数も2011年から2016年で1.5倍。中でもタンパク質分野からの課題は2.5 倍と人の流入が顕著、小角散乱初心者や企業の利用も増えている。この様な広がりを見て、清水准教授は「これら2つの分野が両輪で進むことが大切です。小角散乱のデータって、タンパクの人、材料の人、お互いに何となく分かるんです。だからサイエンスの分野で切り分けることなく、連携しながら一緒に発展していけたらいいな、と思ってます」と語る。