メートル条約*の最高議決機関である国際度量衡総会(CGPM)*は、2019年5月に国際単位系(SI)*の4つの単位kg, mol, A, Kの再定義を予定している。
そのために日本が提出した高精度な定数値は、国家計量標準機関 計量標準総合センター(NMIJ)*の半世紀近い研究の成果だった。日本の研究成果がSI基本単位の定義決定に直接関与するのは初めてのことだ。
測定はNMIJだけでなく共同利用機関等も協力して進められ、物構研のフォトンファクトリー(PF)での実験データも最終データ算出に寄与した。
今回の再定義への取り組みは、人類がもつ知見を集めた挑戦であると同時に、各国の計量学者(メトロロジスト)たちの威信をかけた技術戦でもあった。
*メートル条約: 1875年にパリで締結された「メートル法を国際的に確立し、維持するために、国際的な度量衡標準の維持供給機関として、国際度量衡局(BIPM)を設立し、維持することを取り決めた多国間条約」。 日本は1885年に加入。2018年8月現在で加盟国は60カ国、42の国と地域が準加盟。度量衡とは計測の古い表現で度は長さ、量は体積、衡は質量を指す。
*国際度量衡総会(Conférence générale des poids et mesures, CGPM): メートル条約のすべての条約締約国の代表により構成され、ほぼ4年に1度開催される。
*国際単位系(Système international d'unités, SI): メートル法による単位系の統一を目的として、1960 年、第11回 国際度量衡総会で採択された単位系。 基本単位は、質量 kg、長さ m、時間 s、電流 A、温度 K、モル質量 mol、光度 cd(カンデラ)。
*計量標準総合センター(National Metrology Institute of Japan, NMIJ): 日本の計量標準機関。1903年 東京・銀座に創立された「中央度量衡器検定所」の後身で、現在は経済産業省が所管する産業技術総合研究所(産総研, AIST)の一領域となっている。 計測技術の開発研究、計量標準の維持管理・整備・普及を行う。
「はかる」ことも、測定値を使うことも、現代の私たちにとっては日常のことになっている。私たちはみんなが同じ「ものさし」を使っていることを疑わず日々の生活や仕事をしているが、時計が狂うように、はかりも狂わないとは限らない。体重や家庭にある食材の量なら多少数字が違っても許されるけれど、取引や証明に使われているはかりには正確さが求められる。この肉屋の100 gはよそより多めとか、あのガソリンスタンドの1 Lは他より少ないなどということがあったら問題だ。
正しい計量ができる技術を保つことは、社会の信頼関係に関わる大切なこと。日本では、計量の基準を決め適正な計量を行うために「計量法」という法律があり、経済産業省が所管している。
例えば、取引や証明に使われるはかりは、各都道府県にある計量検定所等で、決められた期間ごとに検査を受け合格しなければならない。検査では、はかりに基準となる分銅を載せ、誤差が許容範囲に収まるかどうかを調べる。
それらの基準分銅を検査するのが国家計量標準機関であるNMIJだ。NMIJには質量の基準となる分銅「日本国キログラム原器」がある。
ヨーロッパでは18世紀末のフランス革命まで、統一された単位系は存在せず、ときの君主が自分の定めた単位を使わせたがり、人々は必要に応じてバラバラの単位を使っていた。その状況は不便なだけでなく、不正や不平等を生むことは容易に想像できる。度量衡の改革は、民主化・近代化のための要請でもあった。
そこで、パリ科学アカデミーとイギリスの王立協会が協力し、すべての国が納得し採用するような基本単位創設を目指した。自然界に存在するものを標準とし、1 mを「北極点から赤道までの子午線の弧の1000万分の1」、1 ㎏を「水1 立方dm(つまり1 L)に相当する質量」と新しく提案した。実際には白金製のものさしと分銅で1 mと1 kgが再現された。新度量衡体系の完成時には、欧州各国の科学者がパリに招かれたという。メートル法は科学者が成し遂げた革命だった。
1875年、メートル条約が締結され、メートル法は当初の目標通り、世界中で使われるものとなっていく。
1889年、第1回国際度量衡総会(CGPM)は1 mと1 kgを白金イリジウム合金で再現したものさしと分銅を、世界で唯一の「国際メートル原器」「国際キログラム原器」とした。同時に製作された原器はメートル条約加盟各国に分配された。NMIJにある日本国メートル原器(2012年 重要文化財指定)および日本国キログラム原器などは、これを実費相当を支払い譲り受けたものだ。当時、キログラム原器は、10-9の比較精度をもち、10万年もつと言われた。校正*のため、約30年毎に持ち寄ってお互いを比較することとなった。
*校正:ものさしが正しいか、定期的に基準に照らして確認すること。
メートル原器は熱膨張などの問題が看過できなくなり1960年に廃止された。現在では、光の速さ*が 2.997 924 58×108 m/s と決められ、真空中を光が進むのにかかる時間を計れば長さが分かることになっている。特定の人工物による定義から、基礎物理定数による定義への変更だ。
*光の速さ:1983年定義。ここで必要となる時間は、1967年にセシウムの安定同位体133Cs原子の振動に基づいて再定義されている。 同位体とは原子核に含まれる陽子数の等しい同じ元素だが、中性子の数が異なり質量数が違う原子同士のこと。
各国に配られたキログラム原器の兄弟たちは再び集められ、決められた手順で洗浄後、天秤で比較された。その結果がグラフである。国際キログラム原器を0として大方の原器はそれより重くなっているのがわかる。推定で50 µg程度(指紋一つ分の油脂に相当)の差が出た。
1 kgで指紋一つ分!指紋の質量という概念がないから驚きでしかないが、通常行われている質量比較の不確かさが 2×10-8程度という計量学者たちにとって、この 5×10-8のずれは許容できない揺らぎだ。ナノテクノロジーの時代、世界中のすべての質量計測の基礎となる量が右肩上がりのグラフを描く事態は放っておけなかった。
計量標準が人工物の場合、厳重に管理されていても原器そのものが安定ではないことが明らかになったし、天変地異によって失う可能性もある。また、普遍的な定義を求める声は以前からあった。
2011年の第24回CGPMでは、SI改定の方向性が示され、質量の定義についても改定されるべきとされた。
質量の再定義にも、長さの定義と似た考え方が使われる。現在の定義に基づいて関連した基礎物理定数を正確に決め、逆にその定数を使って質量の単位を定めようというものだ。その基礎物理定数の候補は2つあった。
アボガドロ定数NAを求める方法
モルの定義*に質量が使われていることから、1 molあたりの原子・分子の個数であるアボガドロ定数を正確に決め質量を表現する方法である。教科書にも、6.02…×1023個と載っているが、実はその数字は正確に定義されておらず、測定によって求める定数である。
*モルの定義:「モルは 0.012 kg の 12C の中に存在する原子の数に等しい要素粒子を含む系の物質量であり、単位の記号は mol である」(1971年 CGPM)
プランク定数h を求める方法
量子論創成期の1900年、ドイツの物理学者 マックス・プランクはエネルギーの量子化という概念に思い至り、5年後アルベルト・アインシュタインが光が粒の性質を持つことを示した。この考えによれば、光子1個のもつエネルギーは、光の振動数*に比例するとびとびの値を持つという。この比例定数がプランク定数hで、量子力学ではよく使う定数だ。
*振動数:1秒間に振動する回数。光の振動数を ν、光の波長を λ、光の速さをcとして ν=c/λ の関係がある。
「波長の短い光(例えば、可視光に比べて紫外線・X線…)ほどエネルギーが大きい」という表現なら聞きなじみがあるという方も多いかもしれない。
1975年にイギリスのブライアン・キッブルによりプランク定数と質量を仕事率の関係でつなぐ「ワットバランス(キッブルバランス)法」という実験法が開発され、複数の計量標準機関が挑戦した。
プランク定数とアボガドロ定数には以下の関係式が成り立つ。
NMIJ特設ページ:新時代を迎える計量基本単位 ― 国際単位系(SI)定義改定 ―