タングステンはスウェーデン語で「重い(tung)石(sten)」を意味する。
日本語でもタングステン酸塩鉱物のことを重石(じゅうせき)と呼ぶ。
今は日本で産出を続けるタングステン鉱山はないが、かつては複数の鉱山でタングステンが錫(すず)鉱石とともに産出した。
錫鉱石にタングステン鉱石が混入すると錫の精製が阻害されるので、「狼のように」錫をむさぼり喰うという意味でドイツ語ではWolfram(ヴォルフラム)と呼ばれる。
タングステンの元素記号がWになった由来である。
産業革命真っ只中の19世紀、炭鉱はエネルギーの源だった。
暗い炭山の坑道では灯りが欠かせない。当時使われていた灯りはオイルランプであった。
当然ながら坑内には石炭があり、オイルランプが原因で炭の粉塵が爆発したり、一度火事になるとなかなか鎮火しないことから、大事故になることが多かった。
炎を使わない照明の必要性が高まっていた。
この頃すでにエジソンの白熱電球は開発されていたが、長時間の高温に耐え明るい光を出す融点の高いフィラメント材料探しは続いていた。
1900年代初頭に発明されたのが、タングステンフィラメントだ。当時、白熱電球は「世界から夜を無くした」と言われ、現代まで100年に亘って電球の主役を担い続けた。
電球としての活躍の場こそLEDに譲りつつあるタングステンだが、レアメタルと呼ばれ、電子部品・工具・楽器の部品などさまざまな分野で、なくてはならない材料として優れた力を発揮している。
タングステンの活躍の場は工業界だけではない。
KEKでも新たな研究成果につながる優れた材料として注目している。
装置の性能を決定づけるのは、つきつめれば「どんな材料を使うか」だという。
物質構造科学研究所 ミュオン科学研究系 標的開発担当の牧村 俊助 技師が想い描いているのは、J-PARC 物質・生命科学実験施設(MLF) で新たに検討されている第2標的(TS2)計画において、陽子ビームの標的としてタングステンを使うアイディアだ。
TS2計画とは…
中性子・ミュオン源を一体化した新たな実験施設を建設する計画。従来に比べ中性子輝度を20倍、ミュオン強度を100倍に増大し、現在の施設では到達できない新たなサイエンス創出と利用者拡大により学術と社会への貢献を目指す。
J-PARC MLFでは加速器で加速させた陽子を標的に衝突させて二次粒子を作り、その二次粒子を用いて物質や生命に関する研究を行っている。 より効率よく実験を行うため高密度の二次粒子を実験室に届けるには、大強度の陽子ビームと密度の高い材料でできた標的が必要になる。 しかし、たくさんの陽子と衝突するほど発熱量も増え材料損傷も進むので、 高温に耐える融点の高い材料であると同時に照射損傷を受けにくい材料であることも要求される。
タングステンは、鉛よりも高い密度(19.3 g/cm3)と、全金属中で最も高い融点(3,420 ℃)を持ち、加速器の大強度化に耐える材料として期待される。
しかし、現在MLFで標的として使われているのはグラファイト(黒鉛)である。
グラファイトの耐熱温度はタングステンより高いが、密度は1.82 g/cm3とそれほど高くない。
ではどうしてタングステン標的が使われていないのか。
金属を丸い棒状にして両端を引っ張る試験方法がある。
金属はいずれ2つにちぎれるが、そのちぎれ方によって金属の伸びを伴う変形のしやすさ「延性(えんせい)」を知ることができる。
例えば、金は高い延性を示すので、引っ張ると中心部が細く伸びてから切れる。この延性によって、き裂の発生が抑制され、材料の中に小さなき裂が発生してもその進行を止めることができる。
一方、タングステンは室温で延性がなく、引っ張るとほとんど伸びずに割れる。
タングステンを顕微鏡で見ると、小さい結晶の粒が集まった構造をしているが、その粒と粒の境目(粒界)が割れやすいので脆いのだ。
これを「粒界
脆性(ぜいせい)」という。
標的材料として用いるためには、強度が高く室温で延性を示し割れにくい、つまり「高靭性(こうじんせい)」である必要がある。 タングステンには加速器材料としての素質があるように見えたのだが、話は簡単ではなかった。
延性に乏しい材料も温度の上昇とともに延性が増す。
一般的には、延性を示す温度領域で上下から圧縮する力をかけながら伸ばす「圧延加工」という対処法がある。
そばやパンの生地を麺棒で伸ばすようなイメージで、大きな圧力をかけて金属を長く薄く延ばす技術だ。
圧延加工を行うと、伸ばした方向に結晶粒が伸びて細長い組織ができ、割れにくくなり高靭性になる。
しかしタングステンやモリブデンは例外だ。
タングステンに圧延加工をしても、加工の程度によって融点よりも低い温度(強加工材で1,200℃以下)で再結晶が生じ、加工前よりもさらに割れやすい粒界が形成され、脆くなってしまう(再結晶脆化)。
さらに加速器の標的に用いれば、高速の陽子が衝突することによって、タングステンの中に、変形の担い手(転位*)の運動を妨げる多くの障害物(微小空洞など)ができて脆化する(照射脆化)。
タングステンはこの脆性のためにビーム運転による温度変化に耐えられずに壊れてしまうだろう。
それでは目的である高密度の二次粒子を得られない。
*転位:結晶中にできる線状の格子欠陥のこと。転位が、特定の平面を特定の方向にすべることによって結晶の変形が生じる。
2016年、新たな標的の検討を開始した牧村氏は、この問題を解決するためにタングステン材料の調査を行っていた。
そして、東北大学 金属材料研究所(以下、東北大 金研)附属量子エネルギー材料科学国際研究センターで
核融合炉のための材料開発に携わっていた栗下 裕明 准教授(当時)らの研究を知る。
2008年秋に 1,800℃でも再結晶脆化せず、照射脆化が起こりにくい構造をもつ高靭性タングステンW-1.1%TiC(微細粒・粒子分散型タングステン-炭化チタン)が開発されていたのだ。
割れにくい粒界と、き裂が発生しにくい強い構造をもつタングステンの常識を変える材料だった。
「ぜひこの材料を使って標的を作りたい!」
牧村氏がそう思ったことは言うまでもない。
開発段階から事業化に至るまでの間に存在する障壁を「死の谷」というのに対し、その前段階の基礎研究が応用研究に至るまでの障壁を「魔の川」というそうだ。
栗下氏らの開発した技術と、牧村氏が求める技術との間にも、その魔の川が流れていた。
まず、現在の技術では大きな材料が作れない。
標的には一台あたり200~1,000 kgのタングステンを使う予定だが、一度に作れる材料の大きさは3 cm×3 cm×1 cm、装置をフル稼働しても年に2 kgしか生産できないということが分かった。
さらに困ったことに、栗下氏は既に定年退職しており、全ての製造装置は使えなくなっていた。
大学では、工業化への高いハードルのために研究を継続する基盤が整えられなかったという。論文にはノウハウまでは載っていない。仮に載っていたとしても再現が難しいこの技術は存亡の危機にあった。
牧村氏は魔の川を渡るべく奔走した。
まず、開発者である栗下氏との協力体制の構築を目指した。栗下氏の知人を探して連絡先を聞き、栗下氏の自宅近くのファミリーレストランで技術指導を依頼した。
牧村氏の願いは聞き入れられ、後に栗下氏を物構研の研究員として招くことになる。
研究の拠点を東北大 金研からKEK 物構研と民間企業との共同研究に移すべく、研究開発体制の再構築が図られた。
その企業とは、金属加工や熱処理技術・設備を有する金属技研株式会社(以下、金属技研)であり、従前からJ-PARCの標的作製などに携わってきた会社だ。
金属技研は、共同研究のための設備を提供し、関連メーカーとの協力体制を整え、2017年には試作を開始した。
並行してKEKは東北大学から関連する知的財産の移譲を受けた。また、KEK 研究支援戦略推進部の寄付金事業により知財戦略の立案や市場調査も行われた。将来の産業応用へ繋がる活動である。
こうして、この技術は金属技研株式会社とKEK 物構研が共同で継承することになった。
(工程1)原料粉末の高純度化
金属技研では補助金事業を活用し、原材料粉末から不純物を除き高純度化するための1000 ℃のベーキング装置が組み込まれた「高純度グローブボックス」を製造した。
この装置を用いて製作した試料で不純物の濃度を比較すると、酸素は従来の1/20に、窒素も1/10に減少した。これらの不純物は、タングステンの延性・強度に悪影響を及ぼすことが分かっている。
(工程2)さらに合金化・ナノ化
グローブボックスの隣にはナノ化・合金化装置「3軸加振型ボールミル」がある。この装置に不純物を除いた粉末とモリブデン合金のボールを入れる。
3軸方向に強く振ることによって粉末の粒子をナノレベルまで小さくし、
同時にTiCをTiとCに分解して固体のタングステン結晶内へ無理やり押し込む(強制固溶*)。
*固溶:元の結晶構造の形を保ったまま固体状態で混合すること。この場合、タングステン結晶の中に1.1%のTiCがTi原子とC原子となって固溶する。
ここで「TiとCに分解するなら、初めからばらばらに加えればいいのでは?」と考える方もいるかもしれない。
実はここでTiCを使うところに、再結晶脆化と照射脆化を抑制する鍵がある。
TiCを強制固溶することで、続く工程3~4ですべての粒界にTi原子とC原子を集め、再結晶後の極めて割れやすい粒界での原子間結合力を高めることができる(再結晶脆化の抑制)。
また、強制固溶したTiとCがナノサイズの炭化チタン粒子として結晶粒内や粒界に析出するため、高エネルギー粒子照射による膨大な数の点欠陥の受け皿となって、微小空洞などの形成を防ぐことができる(照射脆化の抑制)。
逆に、TiとCのばらばらの状態で使うと、C原子が、周囲の圧倒的に多量にあるWと反応し、W2Cが析出してしまう。W2Cは極めて脆く、微量であっても脆化を促進させるため、析出は避けたい。
(工程3)粉末を塊に
ナノ化・合金化された粉末を熱間等方圧加圧(HIP)法で押し固める(焼結)。
(工程4)高靭性化
高温でゆっくり押しつぶすこと(粒界すべり処理)によって高靭性化を施す。
そして、直径20 mm厚さ3 mmのW-1.1%TiC試料が出来上がった。東北大 金研で培われた技術が再現できた。小型試料の曲げ試験では、室温で約2.6 GPaもの高い強度と、わずかではあるが延性を示すことが確認された。高温に晒され再結晶状態であるにも関わらずこの結果が出たのは快挙だ。
現在、更なる高性能化および大型化を目指し研究が続けられている。
大型試料を効率的に作るためには、手順を簡素化しながらも、材料に混入する不純物を除去することが重要だ。
従来、水素中で粉末の合金化・ナノ化を行っていたが、真空中での合金化を実現させた。
今後更に大量の粉末を処理可能な装置や、大型試料の高靭性化装置の開発などを目指している。
試料サイズの最終目標は10 cm×50 cm×2 cmだ。製造能力は当面、年間100 kgが目標で、粉末高純度化装置や合金化・ナノ化装置の更新により、年間10 tを最終目標としている。
これらが実現すれば実用化に向けて大きく前進する。
また、更なる研究開発・評価のために国内外の大学や研究機関等との協力体制も構築している。
2018年9月、熱衝撃耐性の確認のため、CERN(セルン)*での世界最大強度のパルスビーム照射試験に、直径10 mm 厚さ2.6 mmの試料を提供した。
標的は加速器によって繰り返し熱衝撃が加えられるため熱衝撃耐性の研究が不可欠だからだ。試験結果はまもなく判明する予定だ。
*CERN:欧州原子核研究機構。フランス語でConseil Européen pour la Recherche Nucléaire。スイスとフランスの国境に位置する。
牧村氏はもちろん、加速器材料のみならず半導体分野や医療分野など幅広い産業での高靭性タングステンの利用を考えている。 例えば、医療用のX線発生装置用回転陽極の材料として有望だ。 また、高融点はもちろん耐スパッタ性能に優れている高靭性タングステンは、半導体の製造工程に用いられるヒーター材やランプ電極の材料に最適である。 真空蒸着用のヒーターメーカーである株式会社サンリックとは材料の使用可能性を議論しているところだ。さらに、全く新しい耐熱材料として用途の開発も可能である。
実用化へ向けての険しい道のりは続くが、夢も大きくふくらんでいる。