6月29日(土)KEKつくばキャンパス 小林ホールにて、KEK公開講座「生物学におけるクライオ電子顕微鏡」が開催されました。 あいにくの梅雨空でしたが、130名以上の方が集まり、生命の謎を解くための研究についての講演に耳を傾けました。
KEK公開講座「生物学におけるクライオ電子顕微鏡」のお知らせかつては遺伝情報が細胞の中のどこにあるのかが分かっていなかったため、遺伝物質が核酸(DNA)にあるという説と、タンパク質にあるという説がありました。 20世紀半ばに遺伝情報はDNAにあるということが分かり、この論争は決着します。 この頃から、生命科学はミクロからナノの時代に入り、1953年にワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見し、DNAが複製されるという高分子の仕組みが遺伝を説明することが分かりました。 そして分かったことは、DNAにはタンパク質の情報が書かれていたということです。すべてのタンパク質は20種類のアミノ酸の組み合わせでできていますが、そのアミノ酸の繋がり方の情報こそが遺伝情報だったのです。
タンパク質と聞くと、栄養成分表示を思い出し、タンパク質は食べるものと思う方は少なくないでしょう。 ところが、タンパク質は細胞社会の要であり、情報を受け取り、読み込み、格納し、分子を取り込み、運び、タンパク質をつくったり壊したり、免疫機能も果たします。 タンパク質は、アミノ酸の配列によって種類が異なり、何万種類も存在します。 違うタンパク質は違う性質と機能を持ちます。
タンパク質はひも状の分子ですが、そのアミノ酸配列によって決まった形に折りたたまれています。 タンパク質が分子としてできることは、大きく3つあります。
タンパク質は小さいので、同じものをたくさん集めて調べやすくします。 また、強いX線を当てることが必要なので、構造生物学研究センター(SBRC)では、フォトンファクトリーの放射光を使っています。 タンパク質を結晶にし、X線をあてて得られる像を解析することで、分子の立体構造を調べる手法を結晶構造解析といいます。 結晶構造解析の手順の中では、タンパク質が結晶化する条件を見つけるのが何より難しく、たくさんの条件を試さなくてはなりません。 現在、SBRCでは、結晶化条件を探すための定型作業はロボットにやらせて、実験の効率アップを図っています。
タンパク質の結晶構造解析の実例を挙げましょう。人の胃に棲みつくピロリ菌が作るたんぱく質のかたちを明らかにしたら、なぜ東アジアに胃がんが多いか説明することができました。
関連記事:プレスリリース 2017/9/20 ピロリ菌がんタンパク質の1アミノ酸多型が日本人胃がん多発の背景に
〜ピロリ菌の発がん活性を規定する分子構造基盤〜
会場からは多くの質問がありました。やり取りのいくつかをご紹介します。
「結晶化したタンパク質と実際に動いているタンパク質では違うのでは?」
― 結晶化すると満員電車の中の人のようにタンパク質が窮屈な形になっていますが、そんなに大きくは動きません。結晶から知ることができる情報からでも生物の研究は進み、薬の開発も進んでいきます。
クライオ電顕では凍ってはいますが、結晶よりも自然に近い形のタンパク質のかたちが見られると考えられています。
電子顕微鏡が限界を破る可能性があると言えるでしょう。
「遺伝子という言葉は遺伝物質と同じと考えていいのでしょうか?」
― ほぼ同じと考えていいと思います。最近ではDNAだけでは説明できない遺伝の例も知られています。
タンパク質はまるで部品のようなもので、組み合わさって装置になります。
タンパク質一つができることはそんなに複雑ではないので、タンパク質は集まって複合体で働きます。
私はDNAから情報を読み出す「転写」という反応について研究しているのですが、転写では100種類ほどのタンパク質が集まって複合体となって働きます。その複合体のかたちを知った上で研究をしたいと考えています。
しかし、複合体は構造が複雑なので積み重なりにくく、結晶になりにくい、つまりX線で調べることは難しいのです。
透過型電子顕微鏡(電顕)では、電子線を使って非常に小さいもの、1 mmの10億分の1の大きさのものを見分けることができます。
タンパク質は1 mmの10万分の1くらいの大きさなので、電顕を使って詳細な形を直接調べることはできないか、と考えられてきました。
しかし、電顕でタンパク質を見るには、いくつもハードルがありました。
電顕では電子線をまっすぐ飛ばすため、電子線が通る部分を真空にする必要があります。
私たちの身体が真空中に入ったら死んでしまうように、タンパク質は真空中で壊れてしまうのです。そこで、タンパク質が溶けた水溶液を凍結させて見るクライオ電子顕微鏡という技術が開発されました。
電子線も当てすぎるとタンパク質が壊れてしまうので、グリセロールという薬品で保護して凍らせ、極弱い電子線で撮影していましたが、ぼんやりとした像しか得られませんでした。
クライオ電顕では、様々な方向を向いている違うたんぱく質の写真を複数撮って、解析し、タンパク質の形を明らかにします。ちょうどX線CTが様々な角度から撮影し、再構成処理をするのと同じ原理です。
しかし、X線CTと大きく違うのは、写真を撮った向きがあらかじめ分からないことでした。
その後、1970年代にヨアヒム・フランク(Joachim Frank)氏が、どっち向きか問題を計算によって解決する手法を開発しました。 1980年代にジャック・ドゥボシエ(Jacques Dubochet)氏が、液体エタンを使ってタンパク質溶液をガラス状に瞬間凍結する方法を開発しました。 最後に、電子線を当てた瞬間にタンパク質が動き、像がぶれていたことが分かり、カメラの技術革新や手ぶれ補正ソフトによってより鮮明な画像が得られるようになりました。 そして、リチャード・ヘンダーソン(Richard Henderson)氏は、電顕により得られたタンパク質のかたちについて、細かいところまではっきりと見えるような研究開発を継続して行いました。 以上の功績から、2017年のノーベル化学賞は3氏に授与されたのです。
2017年、SBRCへのクライオ電顕導入が決定し、2018年3月に搬入と組み立てが行われ、4月には運転が開始されました。 ろ紙で挟んで薄い薄膜を作り、液体エタンでガラス状に凍結させる作業は、ロボットが自動で行います。 薄い氷に閉じ込められたタンパク質の画像をクライオ電顕で撮影し、粒の向きを揃えて平均すると、ベビースターラーメンを固めたような形が見えてきます。 その画像を基に、タンパク質がどんな原子のどのような構造で形作られているのか知ることができます。
クライオ電顕でタンパク質のかたちが分かるようになってよかったことは、タンパク質の結晶を作るという難問を解かなくてもタンパク質のかたちを知ることができるようになったことです。
詳細な構造を知るという点ではX線にはかないませんが、そこまでの精度を必要としない場合もあります。
また、クライオ電顕で見ることができるタンパク質のサイズはだんだん小さくなっていて、クライオ電顕の普及により、構造生物学研究は大いに発展するでしょう。
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会場からは、多くの質問がありました。
「クライオとはどんな意味ですか?」
― クライオとは低温という意味です。生物学で使う電顕は-200℃くらいに冷やします。
「KEKで導入されたクライオ電子顕微鏡はどこの国で作られたものですか?」
― KEKではオランダから輸入した電顕を使っています。構造生物学で使われる電顕を操作するためのソフトウェアが、非常に使いやすく充実しています。
「平面のデータを重ねて実際の構造にするというのがよく分からなかったのですが」
― 同じタンパク質が1枚の写真に500粒くらい写っているとして、それを1000枚くらい撮影すると、およそ50万粒が写っていることになります。
見えているタンパク質一粒一粒はいろんな向きを向いているので、画像を切りとって数100種類に分類し重ね合わせます。
一粒一粒の画像はぼやっとしていますが、似ている100個や1,000個を重ね合わせるときれいに見えてきます。
「撮影している間、試料は変化しないのですか?」
― 変化します。1枚の画像を撮影するのに1分くらいかかり、その間に電子線によってタンパク質が壊れていくのですが、壊れている後半のデータと、壊れていない前半のデータの重み付けを変えて、計算に使っています。
「タンパク質が結晶化する条件を見つけることは難しいというお話がありましたが、タンパク質の精製も難しいのですか?」
― タンパク質によって精製の難しさは違います。特に、複合体は純化が難しく、慎重な作業が必要になります。
「薬の開発のためにクライオ電顕が使われるようになるのですか?」
― 薬の分子は小さいので、かつてはタンパク質に薬が結合した形を観察できるのはX線だけでした。最近になって、クライオ電顕でもタンパク質にくっついた薬の形を知ることができるようになりました。
しかし、薬を作ろうとすると、数多くの予備実験が必要になりスピードが要求されます。現在はクライオ電顕ではX線ほどスピーディな観察はできないのですが、今後、製薬研究の世界では電顕が主流になっていくだろうと考えられています。
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