IMSS

ありがとう、オーストラリアビームライン

物構研ハイライト
2013年3月28日
写真1 1980年代、フォトンファクトリーBL-6Aでタンパク質結晶構造解析実験を行うオーストラリアの研究者

2013年2月25日の朝、フォトンファクトリーの2012年度のユーザー運転が無事終了しました。この日、1992年から稼働を続けてきたオーストラリアビームラインが、たくさんの研究成果を残し、その役目を終えました。

日本に作られたオーストラリアビームライン

写真2 1992年、オーストラリアビームラインでの初めてのラウエ写真。ビームライン建設に携わったRichard Garrett氏(左)と坂部知平教授(右、現KEK名誉教授)。

オーストラリアの研究者がフォトンファクトリーを使い始めたのは1980年代半ばのことです。ちょうどその頃、2009年のノーベル化学賞受賞者アダ・ヨナット博士がフォトンファクトリーでリボソームの構造解析の研究を始め、すぐに多くの研究者が海を越えてやってくるようになっていました。放射光が物質の構造や機能の研究のための素晴らしい道具であることがオーストラリアの研究者たちに知られるようになるには、そう時間がかかりませんでした。

しかし、当時、オーストラリアには放射光施設がありませんでした。オーストラリアの研究者からはもっと放射光を使いたいという要望があがり、オーストラリア政府は国外の放射光施設に専用のビームラインを作ることを決定しました。その場所に選ばれたのがフォトンファクトリーでした。こうして、日本とオーストラリアの共同研究に関する協定が調印されたのが1991年の7月でした。

写真3 1993年10月15日、オーストラリアビームライン完成式典

まもなくオーストラリアビームライン、BL-20Bの建設が始まり、翌年1992年10月にはビームラインに初めての放射光が導かれました。1993年に はこのビームラインのアイコンとも言える大きな粉末X線回折計、「Big Diff(ビッグ・ディフ、DiffはDiffractometer(回折計)の略)」が設置されました。1997年には多素子ゲルマニウム半導体検出器が導入され、X線吸収微細構造実験(XAFS、ザフス)を高感度で行うことができるようになりました。結晶でない試料の分析ができ、微量な元素も感度よく測定できるXAFS実験は多くの分野の研究者に放射光利用の道を開きました。

たくさんの研究成果から自国の放射光施設の建設へ

写真4 フォトンファクトリーに常駐したスタッフ、クックソンさん(左)とフォーランさん(右)。

この20年余の間、このビームラインで実験が行われた日数は3000日を数え、のべ2500人の研究者がオーストラリアからやってきました。実施さ れた研究課題の数は900件。そして、ここから1000報に届きそうな数の論文が発表されています。つまり、1つの研究課題から平均して1本以上の論文が生まれているということになります。研究というものは必ずしも成功するとは限らず、論文にならない研究も少なからず存在することを考えると、この論文の数は驚異的な数字です。オーストラリアの研究者が如何に放射光の価値を認識して、良い研究を進めていったことがよくわかります。1本のビームラインではすぐに足りなくなり、アメリカのAdvanced Photon Source (APS)、台湾の National Synchrotron Radiation Research Center(NSRRC)にも専用のビームラインが作られました。そして2007年、待望の国内の放射光施設、オーストラリア放射光(Australian Synchrotron)が完成し、オーストラリアの研究者たちは、自国で放射光を使う夢がやっと叶ったのです。

放射光研究者の育成にも

写真5 最後の3人のビームライン担当者とBig Diff。左からMichael Cheah (2010.4 - 2011.6), Kathryn Spiers (2012.12 - ), Jade Aitken (2011.9 - 2012.12)

オーストラリアビームラインの建設を中心になって進めていたのは、若い研究者たちでした。そのうちの2人は、建設期が終わった後もフォトンファクトリーに常駐し、ビームライン担当者として、実験にやってくるオーストラリアの研究者の支援にあたりました。大学で中性子散乱の研究をしていたDavid Cookson(クックソンさん)と、レーザー分光が専門のGarry Foran(フォーランさん)にとっても、放射光は未知の世界でしたが、ビームラインの建設、Big Diffやその他の実験装置の設計や立ち上げ、メンテナンスや改造など、このビームラインで得た経験が現在のオーストラリア放射光につながっているのは間違いありません。その後も何人もの若い研究者がビームライン担当者として経験を積み、技術を磨いていきました。

クックソンさんは現在オーストラリア放射光施設のビームライングループのリーダーを勤めています。フォーランさんは2009年までの長い間、フォトンファクトリーでオーストラリアビームラインの担当を勤め、オーストラリア放射光を経て、2011年からはCROSS(一般財団法人総合科学研究機構)の東海事業センターで、J-PARCの中性子をはじめとする量子ビーム利用支援を行っています。そして日本に渡って実験を行った多くのオーストラリア人科学者は、オーストラリア放射光施設に研究の場を移してそれぞれ活躍しています。

Big Diffは故郷へ

3月15日に行われたPFシンポジウムでは、オーストラリアビームラインのクロージング・セレモニーが開催されました。オーストラリアビームラインの建設に携わった「当時の若手研究者」Richard Garrett氏(オーストラリア核科学技術研究所、ANSTO)は、オーストラリアビームラインの20年間を振り返った講演を、このビームラインのユーザーであったPeter A. Lay氏(シドニー大学)は、X線吸収分光法を用いた、金属錯体化合物の生体における反応や医学応用についての講演をそれぞれ行いました。講演の後には、フォトンファクトリーからの贈り物として、ビームラインで実際に使われていた制御パネルと、笠間焼が送られました。

写真6 3月15日のクロージング・セレモニーで講演をするRichard Garrett氏と最後のスライド。
写真7 セレモニーでは、河田洋教授からビームライン表示盤が送られた。左からRichard Garrett氏、Peter A. Lay氏、Kathryn Spiers氏、Garry Foran氏。

役目を終えたBig Diffは、オーストラリアの放射光科学の黎明期のメモリアルとしてオーストラリア放射光施設に展示されるべく、今、海を渡っています。オーストラリアと日本の間の、放射光科学を通じた長い友人としてのつながりが続くようにとのメッセージを、Big Diffは若い世代に伝え続けていくでしょう。

関連サイト

放射光科学研究施設 フォトンファクトリー
物質構造科学研究所