昨年、九州大学、KEK物構研などの共同研究により、宇宙線ミュオンによる電子機器のソフトエラーが話題となった。J-PARC MLFのミュオン実験装置MUSE D2で正および負ミュオン照射で比較試験を行い、負ミュオンの影響が高いことを確かめたのが、実験を担当した物構研ミュオン科学研究系の反保 元伸(たんぽ もとのぶ)博士研究員だ。
非破壊分析が可能なことから、最近では、博物館等との共同研究で歴史的資料を分析する例も増えてきた。
ミュオンは素粒子のひとつで、電子の200倍の質量と、電子と同じ大きさの電荷を持つ。正の電荷を持つものと負の電荷を持つものがあり、そのうち負の電荷を持つものが負ミュオンだ。
物質中に入射した負ミュオンは、物質の電子・原子核とクーロン散乱*を繰り返しながら減速する。やがて、ひとつの原子核の正電荷に引き寄せられ、その原子核の周りを周回するようなかたちで負ミュオンが束縛された状態が形成される。これはあたかも、電子が原子核の周りを周回する「原子」と同じような状態であることから、ミュオニック原子(Muonic Atom)と呼ばれている。
*クーロン散乱:2個の荷電粒子がその間の静電気力 (クーロン力) によって散乱されること。
原子中の電子と同様に、負ミュオンは量子力学で決まるとびとびの固有のエネルギー準位を持っている。外から飛び込んだ負ミュオンは、自分のもつ運動エネルギーを「光」エネルギーとして放出しながら原子核に近づきエネルギー準位を下げていく。負ミュオンが放出したエネルギーは原子固有の波長を持つX線となる。これを負ミュオン捕獲X線と呼ぶ。負ミュオンはやがて原子核に吸収される、もしくは電子とニュートリノに崩壊する。
負ミュオンが停止した(原子核に捕獲された)位置から放出したX線を測定し、何の元素の固有スペクトルかを調べれば、ミュオンを捕らえた原子核の元素を特定できる。
反保氏はこの原理を使って、測定したいものに負ミュオンを当て、出てくるX線をゲルマニウム検出器*で計測、分析を行っている。いかにして狙った深さで負ミュオンを止めるかが、反保氏の腕の見せ所だ。
特性X線は原子に電子線を当てることによっても発生する。例えば、EDX*という元素分析手法はその原理を用いている。しかし、負ミュオンは電子よりも重いのでより原子核に近づくことができ、より高いエネルギーを持つX線を放出できる。つまり、物質深部の原子の情報を検出できるのだ。また、電子線では検出が難しいリチウム(Li)などの軽元素でも、高エネルギーX線が放出されるため分析が可能だ。
ミュオンは透過力が高いので、袋やガラス瓶に入った試料をそのまま測定できる。しかも、負ミュオンは深さ分解能が高いという特徴がある。
*ゲルマニウム検出器:ゲルマニウム半導体を使用した放射線のエネルギーを高分解能で測定可能な検出器。MUSE D2には、X線のエネルギーに合わせて3種類の検出器がある。
*EDX:Energy Dispersive X-ray Spectroscopy ホウ素(B)からウラン(U)までを検出可能。分析深さは数µmまで。電子顕微鏡の機能の一つになっている。EDSとも。
写真は、リチウムイオン電池を負ミュオンで観察するためのセッティングだ。ミュオンビームは写真上側から来て試料に照射され、放出されるX線を両脇のゲルマニウム検出器で捉える。 この装置で充放電後の電池内のリチウムが動く様子を非破壊で観察できる。作動させながらの測定も原理的に可能だという。
テルル化カドミウム(CdTe)結晶は重元素の半導体で、検出器として用いると100keV程度の高エネルギーX線を高効率で計測できる。 東京大学の髙橋 忠幸 教授やJAXAの渡辺 伸 助教らによって宇宙観測を目的に開発された二次元CdTe検出器は、高エネルギーX線イメージングの最先端を行く。CdTe半導体結晶の表面裏面の両面に狭ピッチの短冊状の電極を直交するように形成することで、X線の当たった位置を高精度に二次元的に検出することが可能になる。高エネルギーX線の検出なのに、あたかもCCDカメラのように反応の位置を特定でき、X線光子一つ一つのエネルギーの定量化も可能だ。
反保氏は、その検出器を負ミュオン捕獲X線の測定に応用することを髙橋教授に提案、共同実験を開始した。負ミュオンは特定の深さに停止させることができ、かつビーム径がもともと大きいので、特定の深さの元素分布を特性X線として「発光」させることができる。 試料と検出器の間にピンホールを置き、鮮鋭な倒立像をCdTe検出器で捉える。このアイデアはピンホールカメラの原理を応用したものだ。負ミュオンを止める深さを変えて測定を繰り返すことで三次元の元素分布が得られる。
学生時代、レーザー加速やプラズマを研究していた反保氏。高エネルギープラズマの運動量を測定していたという。 今後の夢を尋ねると、「固体ではなくプラズマ中での負ミュオンのふるまいを明らかにしたい」との答えが返ってきた。プラズマとは固体でも液体でも気体でもなく、気体が電離し自由電子と陽子が浮遊している状態のこと。空間的に広がっているプラズマを、負ミュオンなら三次元で測定できるという。負ミュオンの高い運動量を低くして超低速化すれば可能だと語る。夢の実現には、負ミュオンの超低速化とX線検出の高分解能化を同時に進めていく必要がある。 負ミュオンの研究者は少なく、応用化学分野の研究者はさらに少ない。反保氏のこれからの活躍に期待したい。
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