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物構研 4つのプローブの歴史 中性子・ミュオン編

物構研ハイライト
2020年9月 2日

はじまりはブースター利用施設

1971年、筑波研究学園都市に高エネルギー物理学研究所(KEK)が創立、大きな陽子シンクロトロン(円形加速器)と段階的に陽子を加速するためのブースターシンクロトロンの建設が計画されました。ブースターの余りある陽子ビームを他の研究にも活用しようと、ブースター利用施設が設立されました。

陽子加速器で中性子ビームを

1960年代、電子加速器で中性子ビームを出す手法は世界各地で相次いで開発されました。日本では1967年に東北大学がパルス中性子源の開発に成功し、中性子回折実験による物質科学の研究を始めていました。
ビーム強度の不足に悩まされていた中性子の研究者たちは、ブースターから出る陽子ビームを利用すれば、より強い中性子ビームが得られると気づき、ブースター利用に名乗りを上げました。

パルス状ミュオンビームへの挑戦

一方、当時、研究のためのミュオン源はすべて陽子加速器による直流状ビームで、ミュオン発生施設は「中間子工場(メソンファクトリー)」と呼ばれていました。東京大学の研究グループがTRIUMF(カナダ)などの中間子工場でミュオンビームを用いた物性研究を経験していました。国内での独自のミュオン源の必要性を感じ始めた研究者たちは、ブースターの利用を検討します。
ブースターからはパルス状の陽子ビームが放出されますが、パルス状のミュオンビームの発生・利用は世界中の誰も試みたことがありませんでした。使い物にならないのではないか、という意見もありましたが、パルスだからこそできることがきっとあるはず、という信念のもと、ハイリスクなプロジェクトへの挑戦が始まったのです。

12GeV陽子加速器とその関連施設(1980~2000年当時)
News@KEK 切らずにがんを治す(2)~ KEKと陽子線治療~より

3つのビーム

1977年ころブースター利用施設では、KEKが中性子ビームを、東京大学がミュオンビームを、筑波大学が医学利用のため陽子ビームを運用することが決まりました。建物・ビームライン・実験装置の整備が始まります。
そして1980(昭和55)年6月、陽子ビームを用いた世界最初の共同利用施設 中性子散乱実験施設KENS(Kou Enerugi-ken Neutron Source)で初めてのビームが観測され実験を開始しました。同年7月には東京大学附属中間子科学実験施設MSL(Meson Science Laboratory)でも実験が始まりました。1982年に筑波大学粒子線医科学センター(現在の筑波大学附属病院陽子線医学利用研究センター)が生物実験を開始し、翌年には陽子線によるがん治療の臨床研究が始まりました。
KENSには13本のビームラインが、MSLには4つの実験ポートが設置され、25年にわたって多くの研究者が実験を行いました。所属機関は違えど、KENSとMSLは物質科学に携わる研究者同士、意識し合いながら互いを高め合っていたそうです。研究に向かないと思われていたパルス状ミュオンについては、後に「日本が真に世界に先駆けて成功させた真にオリジナルな研究である」と讃えられる結果となりました。
1997年4月に高エネルギー加速器研究機構(KEK)が発足し、同時に大学共同利用機関 物質構造科学研究所(物構研)が誕生しました。KENSとMSLはKEK物構研の所属となります。2004年にKEKが大学共同利用機関法人となり、MSLはその名称をミュオン科学研究施設へと変えました。
筑波大学は、KEKでの成果を活かして大学病院内に新施設を整備し2001年に移転しました。ブースター利用施設は2006年3月にその役目を終え、KENSとMSLは茨城県東海村のJ-PARC MLFに引き継がれることになります。
(中性子・ミュオン続編に続く)

3つのビームの分岐点(1979年ころ)
左から医学利用陽子・中性子・中間子
KENSの建設風景(1979年)
KENSの実験施設(1985年ころ)
MSLの大型超伝導ソレノイド(1978年4月)
MSLの実験施設(1980年)

参考文献:「KEK陽子加速器の軌跡 ―中性子・ミュオンー」(KEK 2007)

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