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KEK

分子の動きを捉える「分子動画」への挑戦

物構研トピックス
2023年3月24日

3月10日、つくば国際会議場のLeo Esakiメインホールにて2022年度江崎玲於奈賞・つくば賞・つくば奨励賞の授賞式・受賞記念講演会が開催されました。「つくば賞」は、茨城県科学技術振興財団とつくばサイエンス・アカデミーが、茨城県内において科学技術に関する研究に携わり、世界的に評価を受ける顕著な研究成果を収めた研究者を表彰するもので、今回で33回目を迎えました。すでに昨年の11月の記者会見で発表されたように、2022年度のつくば賞はKEKの足立伸一理事と、KEK物構研の野澤俊介准教授の研究成果「放射光X線による分子動画計測法の開発」に与えられました。

2022年度つくば賞

2023年3月10日、2022年度江崎玲於奈賞・つくば賞・つくば奨励賞の授賞式・受賞記念講演会終了後の足立伸一理事(左)と野澤俊介准教授(右)

今から150年前(日本では明治6年)、イギリスの写真家、エドワード・マイブリッジが「動く馬 (The Horse in Motion)」の連続写真の撮影に成功し、「馬が走るときには4本全ての脚が地面から離れる瞬間がある」ということを証明してみせました。当時の写真は秒程度の露光時間が必要で、1秒に10m以上も進む馬の走る様子を捉えることはとてもできないと考えられていました。マイブリッジは、感光材料の研究を行い、感度を向上させるとともに、高速で作動するシャッターの開発を行いました。開発には数年の歳月を要しましたが、この「感度」と「シャッタースピード」の改良が、馬の連続写真撮影の成功の鍵だったのです。

「分子動画計測法は、マイブリッジの馬の連続写真と同じコンセプトで開発したものです」と、野澤氏は話しました。ただし、分子は馬よりずっと小さく、ずっと速いスピードで形を変えます。この、小さくて速い分子動画の撮影に使うのは、原子サイズの波長を持つ光、X線です。今回の計測では、シャッターを切る代わりに、ごく短い間だけ光る、ストロボのようなX線を使いました。この、ストロボのようなX線を実現したのが、KEKの加速器です。使用したX線の波長は可視光の波長の数千分の1である100ピコメートル(100億分の1m)以下、そして、マイブリッジのシャッタースピードの数百万分の1である、100ピコ秒(100億分の1秒)だけ光るパルス状のX線でした。

動く馬

1878年6月19日、エドワード・マイブリッジによって撮影された「動く馬」。馬が走る方向と平行に、24台のカメラを配置して撮影された。25分の1秒間隔で連続して撮影され、シャッタースピードは1/2000秒以下といわれている(Sallie Gardner at a Gallop, Eadweard Muybridge, 1878)

このユニークな「大強度パルス放射光」を生み出すのは、KEKのつくばキャンパスにあるPF-AR(フォトンファクトリー・アドバンストリング)です。もともとは、素粒子物理学のためのトリスタン加速器の前段加速器(AR:Accumulation Ring)でしたが、2002年に大きな改造を経て放射光専用の加速器 PF-ARとして生まれ変わりました。X線領域の光を発生する放射光は、分子の構造を捉えるツールとして広く使われるようになっていましたが、ほとんどの研究で観測されていた分子の姿は、時間平均された構造、つまり静止画の写真のようなものでした。1発のパルス放射光で分子の構造を捉えることができれば、マイブリッジの馬のように、分子の生き生きとした動きを見ることができるはず…PF-ARはそんな夢を託された加速器でした。足立氏はPF-ARが立ち上がった直後の2003年にKEKに着任し、このユニークなパルス放射光で分子動画を撮影することに取り組み始めました。

パルス光

通常の放射光施設では、強い光を作るために、多くのパルス光が連続的に光るように運転されている。大強度パルス放射光源PF-ARでは、パルス光の間隔を開けて運転されている。一つのパルスで分子の構造を捉えることができれば、コマ撮りした動画のように分子の変化を捉えることができる

「2003年に野澤さんと一緒にこの研究を始めたのですが、最初の数年間は結果が全く出ず、本当にひどい状態でした」と、足立氏はこの頃を振り返りました。大強度とはいえ、1発のパルス光で物質の構造を観測するのはそう簡単なことではなかったのです。「最初は全ての馬の動きを鮮明に撮ろうとしていたのですが、最初の画像からどれくらい変わったかがわかれば良いことに気づいてから、ようやくデータが取れるようになりました」と、野澤氏はマイブリッジの馬の写真に例えて話しました。それからは、X線検出器の改良など感度の向上を図り、分子動画としての性能を高めていきました。

この手法で撮影された分子動画の一つに、光によって誘起される光触媒反応があります。光触媒は、水と光と二酸化炭素からエネルギーや物質を作り出す人工光合成の鍵となる技術として、社会的にも注目を集めています。光触媒による人工光合成では、まず触媒が光によって励起され、寿命の短い電荷分離状態が生じます。これに引き続いて酸化還元反応が進行し、触媒は元の状態(基底状態)に戻ります。触媒とは、「化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないもの」と定義されていますが、実は反応の「途中」では変化しているのです。この反応中間体である電荷分離状態の過渡的な分子構造や電子状態を明らかにすることが、人工光合成反応を高効率化する極めて重要なポイントとなります。この分野では、国内外の大学の研究者との共同研究はもちろん、豊田中央研究所など、人工光合成の実用化を目指している企業とも活発な連携を行っています。

人工光合成

人工光合成では、触媒の中で電子のやりとりが発生する。触媒D-Aが光により励起された後、極めて短寿命の電荷分離状態(D+-A-)が生じ、それに引き続き、ドナー側では酸化反応が、アクセプター側では還元反応が進行する

さらに2人は、この方法をX線自由電子レーザー (XFEL) を用いた実験に拡張しました。最新のX線光源であるXFELは、10フェムト秒(100兆分の1秒)という、PF-ARのさらに1万分の1というごく短い時間幅のパルス光を発生します。これは、反応中間体の構造変化をより詳細に捉えることができることを意味します。原子同士が結合して新しい分子が生まれる瞬間を見るために、シアノ化物イオン (CN-)が金イオンに二つ直線上に結合した「金錯体」に着目しました。金原子の間に、光によって共有結合が形成され、分子構造が変化する様子を、X線溶液散乱法という手法で捉えることに成功しています。この研究では、100ピコ秒より短い時間はXFELで、それより遅い反応はPF-ARでそれぞれ測定されました(下図、上段)。さらに速い反応を見るために技術開発を重ね、これまで光を当てた直後に見られた、二つの結合ができあがるまでの詳細な過程を見ることに成功しました(下図、下段)。この研究は、韓国の研究者との共同研究で、XFELを用いた実験は、日本のSACLAと韓国のPAL-XFELという、日韓二つのXFEL施設を利用して実施されています。

XFEL

光を当てる前の金錯体の集合体は、水溶液の中で緩い引力で集合しているが(上段1)、光を当てた瞬間に結合距離が急激に縮まり(上段2)、結合が形成され新しい分子が誕生する(上段3)。さらにゆっくりと金錯体をもう一つ取り込んだ分子へと変化する(上段4)。上段2の過程を100フェムト秒単位でさらに詳しく観測すると、光を当てた直後(下段1)に近くにある二つの金原子が共有結合を作り(下段2)、その後もう一つの金原子が移動し(下段3)、直線上の分子ができあがる(下段4)ことが分かった(黄色:金、灰色:炭素、青:窒素)

「化合物Aと化合物Bが反応して、化合物Cができる。教科書には普通に『A+B→C』と書かれていますが、僕たちのやっていることは、この矢印の部分を詳しく見ることなんです」と野澤氏は話しました。そこには、今まで見ることができなかった、触媒がダイナミックに形を変え元に戻る様子や、分子が一つ一つ結合を作って行く様子が、確かに存在していたのです。受賞式において、ビデオメッセージでお祝いの言葉を述べた江崎玲於奈氏は「今後マテリアルサイエンスを先導する創造的な成果である」と評しました。

この会場には、つくば市近隣の高校生が大勢招待されていました。野澤氏は、つくばで研究を始めたのは高校生とあまり年齢の変わらない21歳の頃だったと話し、「茨城県には、そういう若い人にチャンスを与える文化があると思う」と、高校生にエールを送りました。


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