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金谷先生・三宅先生・藤森先生のオンライン最終講義を開催

物構研トピックス
2020年12月11日

12月2日、「金谷先生、三宅先生、藤森先生退職記念最終講義」がオンラインで開催されました。この催しは、物構研記念講演会「中性子・ミュオン科学の発展」として3月24日に予定されていたものですが、感染症拡大の影響で延期となり、内容を変更しての開催となりました。旧交をあたためる機会が奪われたことは残念でしたが、オンライン開催だったことで、MLFのビームが出ている時期であるにもかかわらず最も多いときで200名の参加がありました。

先生方、長い間お疲れさまでした。ありがとうございました。

最終講義プログラム
2020年12月2日開催 金谷先生、三宅先生、藤森先生退職記念最終講義


講演中の金谷先生

最終講義では、まず物構研 小杉 信博 所長からの挨拶と各先生の紹介の後、金谷 利治(かなや としじ) 先生から「高分子と量子ビーム―京大とJ-PARCにおける40年」と題して講演がありました。 金谷先生は、2015年6月、京都大学の教授からKEK物構研の教授となり、昨年度末まで J-PARC MLFディヴィジョン長を務められました。
京都大学の学生時代から順を追って来歴が紹介され、研究成果やトピックなどはそれぞれ関係者の顔写真を示しながらユーモアあふれる講義が展開されました。 特にポリエチレン繊維の「シシケバブ構造」に関する研究については、ライバルとの競争や施設トラブル等により実験が延期になったことなど、エピソードを交えながら解説がありました。

後半は、物構研の教授になった経緯と、J-PARC MLFでの5年弱を振り返るお話でした。MLF 中性子標的トラブル直後の着任に始まった任期中のMLFの課題について触れた後、J-PARC MLFの将来像については、家内制手工業のような運営から1 MW施設にふさわしい本格的な大企業経営へと変えるという目標や、第2ターゲットステーション構想について言及がありました。苦労話をしながらもJ-PARC MLFでの5年間を思い出に残る楽しい時間だったと振り返っていました。

一番楽しかったことと一番辛かったことは?という瀬戸 秀紀 副所長の質問に、金谷先生は「楽しかったことはみなさんと酒を飲んだことですね、辛かったことは酒の席で」とかわしていました。

金谷先生の講演のようす KEKつくば4号館2階輪講室にて

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講演中の三宅先生

続いて、三宅 康博(みやけ やすひろ)特別教授から「ミュオン科学との40年 施設建設&ミュオン科学研究」と題して講演が行われました。
三宅先生の研究人生は85%が施設建設、15%がミュオン科学研究だったそうです。三宅先生は博士課程から東京大学中間子科学実験施設(UT-MSL)でミュオン研究を始めました。TRIUMF(カナダ)での施設建設、世界初の超低速ミュオン取り出しに続き、永嶺 謙忠 名誉教授が始めたMSLでの第2実験室建設ではJ-PARC MLF建設の予行演習になったと語りました。
続いて、2004年に始まったJ-PARC MLFのミュオン科学研究施設 MUSE 建設の過程を図面や写真を使って丁寧に説明しました。建設の師となった Jack Beveridge 氏の「中性子標的とミュオン標的メンテナンスに最適化した、独立なクレーンを設置すべし」、「ビームラインコンポーネントを例外なく遠隔で装着・脱着可能とすべし」という教えを守って設計を行ったことが紹介されました。

超低速ミュオン専用のUライン建設については、金谷先生の講義でも話題になった25年前に金谷先生と三宅先生の間で交わされたという「ポリマー表面でのガラス転移点測定を超低速ミュオンで行う」という約束ももうすぐ叶うんじゃないか、と話しました。

後半の研究についてのお話では「世界最高強度、最先端ミュオンビームで謎に挑む」ミュオン科学グループでの研究について紹介し、超低速ミュオン生成をはじめ、超低速ミュオンを用いた透過型ミュオン顕微鏡、負ミュオン科学、宇宙線ミュオンのソフトエラーなどを挙げました。
最後に「実りある放射光・中性子・ミュオンの融合科学研究が生まれ続けていくことにエール!」と述べて、永嶺名誉教授と西山樟生名誉教授を師とした研究者人生の最終講義を締めくくりました。

下村 浩一郎 研究主幹からの一番楽しかったこと、一番辛かったことは?という質問には、「一番楽しかったのはみんなで飲んだこと、辛かったのはミュオンの火災のときだったかもしれない」との回答でした。

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講演中の藤森先生

続いて、藤森 寛(ふじもり ひろし)シニアフェローから「電磁石設計の軌跡 ― KEK BSF(NML)からJ-PARC 3NBT-MUSEに至るビーム輸送電磁石の設計 ―」と題して講演がありました。
藤森先生は、1987年にKEKに入職し、KENSやMSLがあったブースター利用施設(BSF)に所属、ブースターシンクロトロンからBSFまでの150 mの電磁石の維持開発を行いました。2001年から大型ハドロン計画に参画しJ-PARCの電磁石設計に携わり、J-PARCの3GeVシンクロトロンからMLFまで320 mの3 GeV陽子輸送ライン(3NBT)上の電磁石の設計を担当します。2006年からは物構研ミュオン科学研究系に移籍し、J-PARCの中性子初ビーム、ミュオン初ビームの発生に貢献し、2008年度KEK技術賞を受賞しました。その後、ミュオンキッカーシステムの構築、中性子標的のための八極電磁石の設計に携わり、2019年度まで技術副主幹を務めました。現在は電磁石技術を引き継ぐ後継者の指導に励んでいます。

講義では、大型加速器に必要な電磁石の設計について詳細な説明がありました。電磁石内では磁場および磁場勾配の一様性が求められ、それを満たすために詳細な設計が必要となります。藤森先生は、失敗談として、電磁石の完成後の磁場測定で要求された磁場が出ていなかった例を挙げました。電磁石の磁極シム(出っ張り)が計算値と図面とで2.5 mmずれていたのが原因でした。試行錯誤の結果、予備のために開けておいたねじ穴を利用して磁極に鉄板を貼ることで解決したとのことです。ここでの教訓は、解析モデルと図面との照合をきちんと行うこと、適所に後付け調整が可能な加工を施しておくこと、だそうです。また、名前を見ただけでどんな電磁石がすぐ分かるように3NBT電磁石の命名法を工夫していることなどが紹介されました。
ミュオンDラインにある電磁石コイルは再利用品で製作から40年以上が経過しているため更新が必要で、いま後任の湯浅 貴裕 技術員がその設計に取り組んでいるとのことです。

技術者人生で一番良かったことは、「子どもに自分の仕事を示せたこと」。お父さんがどんな仕事をしているか分からないというお子さんのために「お父さんの仕事紹介」と称して、稼働前の2007年夏に家族を連れ、電磁石が並ぶ3NBT 320 mの旅をした思い出を語りました。お子さんからは「思っていたより大きくてすごいね!」という感想をもらったと嬉しそうに話していました。辛かったことはセプタム電源の火災とキッカー電磁石のノイズに悩まされたことだそうです。

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KEKブースター利用施設内の3本のビームライン
J-PARC MLF 中性子標的のための八極電磁石

終了後、120名以上の参加者と記念撮影をしました。そのうちの1枚をご紹介します。

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