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私にスピンをわからせて! ~第5回転「銀原子はなぜ曲がる?」~にゃるほど、だから曲がるのねの巻

物構研トピックス
2020年1月10日
わたしにスピンをわからせて!

北村 源次郎:野趣あふれる美猫。上田城で母と運命の出会いを果たし、北村家の猫となったことから、真田信繁の幼名をとって源次郎と名付けられた。
十八番は即興ピアノ曲「猫が踏んじゃった」。

シュレ子:第4回転から登場、ヨーロッパからやってきた謎の猫。

母上:源次郎の母。文系だが、素粒子とスピンに興味がある。昆虫・植物が大好きで、KEK構内で撮った珍しい虫の写真を持ち歩く。
プロフィールはKEKのひと「山を旅して世界を知った 北村節子さん」に詳しい。
【KEKエッセイ #1】「天才はおもいがけなくやってくる」
【KEKエッセイ #7】「メンデレーエフの日本の孫」
【KEKエッセイ #15】「原爆投下。チャーチルは、ママの実家を頼った?」

前回までのお話

あらすじ
スピンとは何かを知る旅に出た源次郎母上は、スピンの存在を決定づけた一つの実験に出会う。しかし、「スピンって何?」の答えの前に、原子やら軌道やらほどほどの予備知識を携えつつ専門用語の波に抗う必要があることを知る。しかしめげずに進むふたり。猫の シュレ子も加わって、図らずも量子力学の歴史をたどり、「それってスピンじゃなければ説明できないじゃない!」と叫ぶ寸前のところまで来ている。

そういえば、シュレ子ちゃん、逃げてきたんだっけ?
何かあったのかニャ?

逃げてきたっていうのは本当は違うにゃ。エルヴィン先生がね、代わりに行ってきてほしいって。

え?どういうこと?

本当は前回って、エルヴィン・シュレディンガー先生が出演するべき回だったじゃない。シュレディンガー方程式の巻なんだから。

まぁ…確かに。

シュレディンガーの猫:シュレディンガーが「量子力学的な重ね合わせ状態が存在するなら、人間の感覚で感知できるスケールの重ね合わせ状態が実現する例」として挙げた有名な思考実験に出てくる仮想の猫、あるいは思考実験そのものを指す。
密封できる箱の中に原子核の崩壊を引き金にして猛毒が放出する仕組みを作り、猫を入れておく。一定時間のうちに原子核が崩壊すれば猫は死ぬ。崩壊しなければ猫は生きている。
原子核の崩壊はその確率だけが分かっており、観測するまではどちらか分からないので、量子力学では崩壊と非崩壊の2つの状態が重ねあわせになっているという。原子核が崩壊するかしないかというミクロな現象が、猫の生死というマクロな現象に見事に投影されている。

だけど、「今の世の中ではシュレディンガー方程式よりも『シュレディンガーの猫』の方が有名になっているようだ。猫を危険にさらす可能性のある装置を考えたのは自分だけど、実際にはシュレディンガー家に出入りしている猫は虐待なんてされてないってことを証明してきてくれないか」って相談されたのにゃ~。

あれ?シュレ子ちゃん、シュレディンガーさんは猫が苦手だって言ってなかった?

そうにゃんです。だけど、遠くから話しかけてきて…。
わたし、エルヴィン先生のこと嫌いじゃないから、引き受けてみたというわけにゃの。

へぇ、そうだったの。

エルヴィン先生は、生命の不思議について考えてるって聞いたにゃ。本も書いてたみたい。

そういえば、シュレディンガーには "What is life?" というタイトルの著書があるって聞いたことあるニャ。

あら、源次郎、物知りね。

"What is life?" というのは、物構研の構造生物学研究センターのテーマと同じだね。
シュレディンガーは量子力学を突き詰めた後、「生命とは何か」を考え、生細胞を物理的に捉えることに挑戦した。特に遺伝の仕組みは飛び飛びの状態を表す量子論で説明できると考えたらしい。分子生物学のはしりだね。

生命のことが気になり始めた物理学者が、思考実験の箱の中にも命あるものを持ち込んでしまうのは分からないでもないわね。

先生が考えているとき、たまたまわたしが目につくところにいたのかもしれないにゃ~。

第5回転「銀原子はなぜ曲がる?」~にゃるほど、だから曲がるのねの巻

今回の指南役:
村上 洋一(むらかみ・よういち)さん

愛媛県松山市出身。専門は、物性物理学。幼いころから磁石の不思議に魅せられて、かれこれ半世紀、今も磁石に関連した研究を続けている。
【KEKエッセイ #10】「百万聞は一見に如かず~光を作る工場」
【KEKエッセイ #19】「相転移~景色が突然変わるとき」

そもそも、前回シュレディンガーが出てきたのはどうしてでしたっけ?
私たちは銀原子について考えていたよね、シュテルンとゲルラッハの実験の謎を解くために。
そして、銀原子の中の電子の軌道は大雑把に言うとこんな感じだと考えている。
ふんふん、K殻、L殻…ってやつね。
だけど、電子の軌道、つまり電子が存在する可能性がある場所を詳しく調べると、実はもっと小さい単位の軌道の組み合わせだということが分かったんだ。
これは計算で分かったことなんだけど、その計算式というのがまさにシュレディンガー方程式なんだ。
そっか、シュレディンガー方程式があったから、軌道の詳細まで分かるようになったのね。
そう。その小さい単位の軌道というのを、さっきの図に当てはめてみると…こうなる。
うわっ!
つまり、シュレディンガー方程式によれば、電子の軌道は最大2つの電子が入る小さい軌道の組み合わせ、ということになるんだ。
なるほど、よく見ると、一本の線上には丸は2つしか乗ってないわね。
母上、スイスからヴォルフガング・パウリさんって人が来たニャ。
パウリさん?
こんにちは。前の前の回にボーアがここに来たそうで。彼は年上なんですが、元同僚なんですよ。
あらそうなんですか。
ひょっとして、わたスピを読んでくださってる?
ええ。
源次郎くんが「電子が一つの席に殺到したりしないの?」と言っていたのを聞いて出番が来たと思いましたよ。
あら嬉しいわ。
なぜ電子はお行儀がいいか、種明かしをしてくださるわけね。
1つの軌道には最大2つの電子が入るという話をされていましたね。
どうして最大2つなのか気になりませんか?
席が2つしかないから…、じゃあ答えにならないわね。実際に椅子があるわけじゃないものね。
じゃあ、これを見てください。あり得ないけど、軌道に入ろうとする電子のための看板だと思ってもらえるとありがたい。
ふんふん、1つの軌道には電子は2つまでね。さっきの図の通りね。
でもこれじゃ、不十分なんです。結果として2つなんだけど、なぜ2つなのかの理由が分からない。
私は、電子がどんな法則に従っているのかを考えました。 単に、同じ「状態」のものは複数入れません、というルールだと考えるとスッキリするんです。
2つの電子には違うところがあって、お互いに違うもの同士だから2つ入れるってことかなぁ。
そういえば、電子には「個性がない」って聞いたことがあるニャ。同じ電子だけど「状態」が違うの?
そう。全く同じだと思っていた同一軌道上の電子2つに実は違いがあって、「全く同じ状態の電子は同じ軌道に共存しない」というルールがあると考えると、とてもシンプルに説明ができる。
「パウリの排他律」と言われているものですね。
同じ軌道にいる電子には2つの「状態」があるってことだニャ。
そう、電子には今まで知られていなかった「状態の違い」があることが様々な実験で明らかになって、私たちはそれを「新しい自由度」って呼んだんだ。
自由度?
例えば、オセロの石は全部同じだけど、黒い面と白い面があるよね。黒か白かは変化する余地がある。それを自由度って呼ぶんだよ。
なるほど。
「新しい」自由度ってことは、既に知られている自由度があったってことよね?
もちろん。
例えば、どの軌道にいるか、というのも電子の自由度の一つだよ。
だけど、最後の最後に発見されたのが、この「新しい自由度」だったんだよ。
ふ〜ん。最後に発見された自由度か…。
パウリさん、その「新しい自由度」って…もしかして!
私が知りたくてたまらないあれのこと?
そう、「新しい自由度」とはいわゆるスピンのことを指している。
じゃあ、電子が一つの席に殺到しないのは、電子にスピンがあって排他律に従ってるからニャンだね!
その通り。
僕が排他律を見つけたのは、スピンという言葉が世に出る前だったけどね。
ん?他にスピンを発見した人がいるのね?
いや、だれか特定の人物がスピンを発見したというわけではないんだよ。
今の量子力学ができあがるまでには、たくさんの研究者による様々な議論があったんだ。
へぇ!そうなのね。
スピンという概念は、量子力学がいまの形に近くなったころに生まれたものだけど、みんなの実験や思考を重ねた上での議論の中で、電子には「新しい自由度」つまりこれまで知られていない性質があるということが共通認識になっていった。
そして、たまたま「スピン」という名前が採用されたんだね。
どうりで「スピンの発見者」がでてこないわけね。
アインシュタインが単独で「相対性理論」を作り上げたのとは対照的ですね。
初めは「スピン」=自転という考え方もあって、私は反対だった。
だが、次第に言葉そのものの意味とは離れて、電子の性質の名前として「スピン」が定着していったんだよ。
だから私が混乱したのよね。何が回ってるの?って。
いやいや、こんなキャッチーな名前じゃなければ、北村さんもここまで気にならなかったんじゃないのかなぁ。
僕はパウリさんの背景の割れてる皿とかカップは何なのか気になるニャ~。
自分で説明するのも何なんだけど…
「パウリ効果」と言われているものがあって。
「パウリ効果」ってにゃあに?
僕が近くにいると装置やら何やらが壊れると言われていて、
僕と装置は同じ部屋には入れないという排他律があるって言われているんだ。
ボーアと僕が同じ回に登場できなかったのも、そのせいだと思いますよ。
パウリの排他律は厳しーっ!

原子の構造について一通り分かったところで、シュテルンとゲルラッハの実験、銀原子に戻りましょう。
これまで一般的な話をしてきたけど、これまでの知識を総動員して演習問題ってとこだね。
そうだった、銀原子の話をしていたんでした。
銀原子を磁場の中に投げると曲がるのはどうしてかって話よね。
シュテルン=ゲルラッハの実験
まず、実験者のつもりになって考えてみようか。
銀原子を一つずつ同じところを目がけて何個も何個も飛ばしたら、どうなると思う?
機械仕掛けのダーツみたいなもんよね?たまに外れるかもしれないけど、真ん中に集中すると思う。
そうだよね。当時の科学者の予想もそうだった。
だけど、実際にはまっすぐ進む原子はほとんどない…って話にゃのよね…?
そう、銀原子が進んでいる空間には磁場があって、銀原子はS極に向かうものとN極に向かうものの二手に分かれた。
ということは、まず、銀原子に磁場の影響を受ける性質があったということになるよね。
わたスピ2でやったわね。磁場中を飛んでいる原子が影響を受けるとすると、要因は原子の電荷か磁気モーメントじゃないかしら。
でも、銀原子は電荷がゼロだって聞いたわ。
そうだったね。じゃあ、銀原子の磁気モーメントについて詳しく考えてみよう。
銀原子には電子で満杯になった複数の殻と一番外側の殻に1個の電子があるね。
まず、内側の殻について考えよう。内側の殻はすべて満席だ。 電子がこの中に偏ることなく存在するとしたら、軌道磁気モーメントは?
電子で満席の殻は、軌道磁気モーメントが打ち消し合ってゼロだニャ。
そのとおり。
じゃあ、次は銀原子の一番外にある殻を考えるよ。銀原子の一番外側の電子はs軌道なんだよ。
そういえば、前々回わたスピ3で、1s軌道の話が途中になっていた気がする。
そうそう、確か s軌道のかたちは真ん丸だから、と言っていたような…。
源次郎くん、冴えてるねぇ。
繰り返しになるけど、s軌道は球状をしていて、電子は中心からの距離によってある決まった確率で存在する。
電子がこの球の中に偏ることなく存在するとしたら、軌道磁気モーメントがゼロになるのはイメージできる?
そうね、一つの円周上を回っていたらゼロじゃないだろうけど、ありとあらゆるところに存在するとしたら、平均するとゼロになっちゃうんでしょ?
だとすると、銀原子の一番外にある電子は軌道磁気モーメントがゼロだニャ。
源次郎、シュレ子ちゃんの前でいいとこ見せたわね。
そうすると、銀原子全体の軌道磁気モーメントはゼロだということが分かったね。
原子の電荷はゼロで、磁気モーメントのうち、軌道磁気モーメントはゼロだから…
なるほど、ここでスピンが浮上してくるわけね。
スピンに思い当たりましたね。
じゃあ、銀原子のスピン磁気モーメントについて考えてみよう。
スピンが答えかどうかは分からないけど、スピンで説明できるかどうか確かめるってことだニャ。
そうだよ。まずは内側から。
電子で満席の殻ではスピン磁気モーメントはどうなっているでしょうか?
ヒント「1つの軌道には、互いに逆向きのスピンを持つ電子が1つずつ、計2個入ることができます」
ヒントをもう一つちょうだい。
逆向きのスピン同士は打ち消し合う?
はい、打ち消し合いますよ。
じゃあ、電子が2つ入っている軌道はプラスマイナスゼロ!
ご名答!
電子で満杯の殻では、スピン磁気モーメントは互いに打ち消しあいます。
ってことは?
残りは一番外の一人ぼっちの電子だけ。
たった1つの電子のスピンが銀原子の磁気を担ってるってことなの…?
そういうことになりますね。
ちっぽけな電子がたった1つで、重い銀原子の進行方向を曲げていたなんて!
当時の物理学者も北村さんと同じように随分と悩んだようですよ。
スピンのような新しい概念を持ち出さなくても、既存の概念で実験を説明できないかって。
へーぇ。そうなんだ。
例えば、原子の芯という考えがあったんだ。
複数個の電子を持つような原子の場合、「一番外側を回っている電子」と「それ以外の電子と原子核を合わせた芯のようなもの」に分けて考える。1個の電子が、丸い芯のまわりを回っているという状況。
もしその芯がちょっとでも球対称からずれていれば、芯自体が磁気モーメントを持つことが可能で、この芯による磁気モーメントが原因ではないかって。
にゃるほど。いろいろ考えたのね~。
でも、この芯の磁気モーメントでは、「実際に実験で求められる磁気モーメントの大きさ」と「ある理論に基づいて計算された磁気モーメントの大きさ」が合わなかった。
その結果、一番外側を回っている電子の自転のような電子固有の磁気モーメントがあることを認めざるを得ない状況となったんだ。
こうなるだろうと頭で考えたのと、手を動かして実験や計算をしてみるのとでは、違いますよってことかニャ。
にゃ~るほど。だから、原子の芯を考えた人たちも、スピンの存在を認めたってわけね。
そういうこと。
しかも、シュテルンとゲルラッハの実験では、磁場の影響を受けてただ2つの方向にだけ原子が曲がったことから、スピン磁気モーメントには2つの選択肢しかない、と考えられるんだよね。
まっすぐでもなく、上だけでも下だけでも斜めでもなく、全ての原子は上か下のどちらかに行くのね。
そう、表か裏か、プラスかマイナスか、左か右か、みたいに、二者択一だってところがポイントなんだ。
電子がスピンという性質を持つということは、今までのお話でだいぶ納得できた気がする。
私、スピンが分かってきた気がする!
パチパチパチ(一同拍手)
わたスピ基礎編、卒業だね。
ありがとうございます!
…ところで、電子以外にはスピンはないの?
ありますよ。たくさん。
そう言えば、今回の実験で出てきたオットー・シュテルンは1943年に陽子のスピンを解析したという功績でノーベル物理学賞をもらってるんですよ。
ふ~ん。陽子のスピンも知りたいな。
物構研で扱うスピンはほとんどが電子のスピンなんですよね。
だけど陽子のスピンは特別な存在ですから、次回はそのあたりを教えてくれる素核研の理論研究者に入門してみましょうか。

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